軍事政権の成立とは? わかりやすく解説

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軍事政権の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 17:42 UTC 版)

ミャンマー内戦」の記事における「軍事政権の成立」の解説

1962年3月2日ビルマ国軍ネ・ウィン将軍軍事クーデター起こし軍事政権成立させた(ビルマクーデター (1962年)(英語版))。ネ・ウィン将軍ビルマ社会主義計画党 (BSPP)を立ち上げた上で ビルマ式社会主義掲げ、各少数民族への同化政策自治権はく奪行った。これらの政策に対してカレン族シャン族のみならずカチン族モン族など各少数民族それぞれ独立運動起こし再び内戦激化し最終的に20上もの独立勢力乱立して軍事政権に対してゲリラ戦を行うようになった1976年には少数民族11党派により民族民主戦線NDF)が結成された。これらの独立勢力により辺境地域ビルマ中央の軍事政権支配及ばず事実上独立状態になった一方都市部での拠点失ったビルマ共産党シャン州北東部コーカン(果敢)族・ワ族居住地域逃れ次第構成員がこれら少数民族入れ替わって行った1989年クーデターにより以前からの幹部追放されコーカン族ワ族出身者中心共産主義イデオロギーの薄いワ州連合軍として再編成された。さらにタイ及びラオスとの国境地帯では中国国民党残党軍が撤退した後を引き継ぐようにしてクン・サ率いるモン・タイ軍(英語版)などの麻薬組織台頭し民族独立大義名分にしてアヘン製造を行うようになり事実上軍閥として一帯統治下に置くようになったこのためタイミャンマーラオスの3国の国境が交わる地域黄金の三角地帯呼ばれるようになった。またBSPP政権下でビルマ国軍辺境部の反政府勢力への掃討作戦少数民族強制移住を行う一方都市部軍事支配盤石し、また銀行業建設業などの主要なビジネス手を広げビルマ最大社会商業組織となった1988年8888民主化運動でいったんビルマ民主化したが一カ月後に再度クーデターで再び軍事政権である国家法秩序回復評議会SLORC1997年国家平和発展評議会改組)が成立民主化運動家たちは国外亡命するビルマ民主同盟DAB)及び全ビルマ学生民主戦線結成して少数民族合流ゲリラ戦展開した1990年12月にはビルマ連邦国民連合政府NCGUB)が結成された。SLORC政権側も軍拡進め1988年には約19万人だったビルマ1989年国名ミャンマー変更国軍兵力1993年までに30万人以上にまでに増員し少数民族勢力への攻勢開始1988年から1992年にかけては1948年以来最大規模となる戦闘が行われた。これにより100万人以上の国外難民発生したミャンマー難民)。もっとも各少数民族独立勢力一枚岩ではなくミャンマー国軍に対して各々個別戦闘停戦繰り返しており、分派少数民族独立派同士抗争起きている。

※この「軍事政権の成立」の解説は、「ミャンマー内戦」の解説の一部です。
「軍事政権の成立」を含む「ミャンマー内戦」の記事については、「ミャンマー内戦」の概要を参照ください。

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