貿易の最盛期、1880年–1900年とは? わかりやすく解説

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貿易の最盛期、1880年–1900年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 23:14 UTC 版)

氷貿易」の記事における「貿易の最盛期、1880年–1900年」の解説

人工氷の製造1880年になって未だ大規模に行われているとはいいがたかったが、19世紀終わりにかけて技術的な向上があり、天然氷競争できる価格生産できるようになったため生産量拡大し始めた。とくに始めは、天然氷輸送費などでコスト的に不利になる遠隔地製氷機定着しだした。オーストラリアおよびインドではこの頃すでに人工氷のほうがシェア高く1880年代から90年代にはブラジルでも製氷機つくられはじめて徐々に輸入より国内生産のほうが増え始めたアメリカで南部でさらに多く製氷機導入されていった長距離輸送を行う会社は、冷蔵必要な氷を大量に仕入れて使っていたが、需要急に高まったときにも対応できたりストック必要がないという利点から、重要な中継地点では現地製造した氷を使うようになっていた。1898年以降イギリス水産会社釣った冷やす氷には人工氷を使うようになった。 そして技術革新は、氷を運ぶ手間が省けるよう、直接冷蔵のできる部屋ないし倉庫をつくるという方向向かい始めた1870年代には大西洋を横断する航路をとる船がわざわざわ氷を積まなくても済むようにしたいという意識高まった。テリエは、蒸気船ル・フリゴリフィックのために冷蔵可能な船倉を手がけたが、この最初冷蔵船は無事アルゼンチンからフランスへ牛肉輸出することができた。グラスゴー拠点にするベルたちの会社は、ゴーリエの空気圧方式による船舶用冷蔵室ベル-コールマンデザイン呼ばれた)の製作に資金提供行った。このときうまれた技術はすぐにオーストラリアニュージーランドアルゼンチンとの貿易利用されはじめた。他の業界でもそれにならいはじめる。カール・フォン・リンデ醸造業者機械によってビール冷却する手段開発し天然氷への依存から脱却した冷蔵倉庫食肉加工分野でも冷却装置に頼ることのほうが多くなった。 人工氷との競争始まったにも関わらず天然氷はなおも北アメリカヨーロッパ経済にとって不可欠であった。これらの国では生活水準向上し需要そのもの拡大していたのである1880年代は氷の需要かつてないほど高まり天然氷貿易拡大続けていた。ハドソン川流域メイン州だけで400トン近い氷が常時ストックされており、ハドソン川では岸辺沿って135前後巨大な貯氷庫が並び2万人の従業員働いていた。メイン州から南方へ氷を輸送する船舶は1,735艘にのぼり、ケネベック川沿って36社もの業者事業展開し需要応えたウィスコンシン州の湖でも、中西部に氷を供給するために生産体制つくられはじめた1890年には、再び氷飢饉東部襲ったハドソン川はまったく氷がとれなかったため、実業家たちは氷が無事できていたメイン州殺到した投資家たちにとっては不幸なことに、翌年の夏は非常に寒く需要冷え込んだことから、多く経営者大損をだした。この時期アメリカ全土では9万人25,000頭の馬がこの貿易携わっており、2,800ドル2010年の6億6000ドル)の資本が氷事業投入された。 ノルウェーにおける貿易1890年代ピーク迎え1900年までに年間100万ショートトンの氷が輸出されていた。イギリス大企業となっていたレフトウイッチの会社大量にこれを輸入して1000ショートトンの氷を倉庫常時ストックしていた。オーストリアノルウェー続いてヨーロッパ市場参入した。ウイーン・アイス・カンパニーは19世紀終わりには天然の氷をドイツ輸出していた。 アメリカでは世紀末にかけて氷業者合併が相次ぎノルウェーなどの競合業者はこうしたカルテルじみた動き非難したメイン州出身実業家チャールズ・W・モースは、不透明な金銭流れを介してニューヨーク・アイス・カンパニーとニューヨークのコンシューマーズ・アイス・カンパニーなどの経営権握り1890年には二社をコンソリデイテド・アイス・カンパニーとして統合した。さらにモース強力なライバルであったニューヨークのニッカボッカー・アイス・カンパニーを1896年買収し、この地方から毎年収穫されるおよそ400トンもの氷を自由に動かせるようになった1899年モースはわずかとなったライバル企業をアメリカン・アイス・カンパニーに合併しアメリカ北東部における天然氷人工氷の供給流通を完全に掌握した西海岸では、エドワード・ホプキンスがサンフランシスコにユニオン・アイス・カンパニーを設立すると、周辺さまざまな関連企業統合して新たな巨大アイス・カンパニーをつくりあげた。それとは対照的にイギリス市場では競争苛烈なままであり、価格比較抑えられていた。 日本においては1884年明治17年)から東京製氷人工氷の販売開始した天然氷人工氷は激し販売競争繰り広げ品質に関するネガティブキャンペーン行った人工氷は薬品使用した有害なのである、という噂が広まって人工氷は苦戦強いられたが、価格天然氷より1割ほど安かったことに加え品質証明する努力によって次第シェア広げていった。1887年明治20年)に皇太子(後の大正天皇)が東京製氷工場見学し、氷の中に花を入れた観賞用花氷持ち帰ったことから、宮内省への献上が行われるようになった。そして宮内省御用指定工場となり、宮中への納入機械製氷に限ると布告されたことから、東京製氷大宣伝を行って1897年明治30年)には人工氷が天然氷追い抜くことになった

※この「貿易の最盛期、1880年–1900年」の解説は、「氷貿易」の解説の一部です。
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