貿易の消滅、20世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 23:14 UTC 版)
天然氷の貿易は20世紀初頭には、圧倒的な勢いで機械による冷却システムと人工氷にシェアを奪われていった。ニューヨークにおける人工氷の生産量は1900年から1910年にかけて二倍になり、1914年にはアメリカで毎年2,600万ショートトンの氷が生産されていた。一方で天然に収獲される氷は2400万ショートトンに過ぎなかった。これは世界的な傾向で、例えばイギリスでは1900年までに103台の製氷機が稼働していたため、アメリカから氷を輸入しても全く儲からなくなっていった。毎年の氷の輸入量は1910年には15,000ショートトン以下にまで落ち込んでいた。氷貿易に関する雑誌が名前を変更したことも象徴的だった。例えば、アイス・トレード・ジャーナル誌はリフリジュレーティング・ワールドに雑誌名を変更していた。 人工氷の普及は、この時代に氷飢饉が頻発したことにもその要因があった。例えば1898年のイギリスでも氷飢饉が起きたが、そうなるとたいてい天然氷の価格が跳ね上がったため、人工氷に対する需要と新しいテクノロジーに対する投資期待が高まった。天然の氷の安全性についても懸念が広がっていた。汚染されたり不潔な湖や川から採れた氷の安全性を心配する声は、すでに1870年頃のアメリカにはあった。1904年にロンドン市の依頼を受けて実施された調査の報告書には、輸入氷は入港直後にきれいでも流通の過程で汚染にさらされるリスクがあり、人工氷の方が衛生的であると記された。1907年にはニューヨークの専門家がハドソン川の氷は安全性が低く、腸チフスの細菌を含んでいる可能性があることを指摘した。これに対しアメリカン・アイス・カンパニーが反論を行い、結局天然氷はそこそこ安全だとされたが、公衆は安全性の見地から天然氷を避けるようになった。こうした汚染に対する不安感を利用し、人工氷メーカーは自分たちの広告にそれに関する文言を取り入れることが多かった。1910年にメイン州アイスボロにあったアメリカン・アイス・カンパニーの施設が火災に見舞われるなど、火事が続いたことも業界に打撃を与えた。このアイスボロの火事では、建物だけでなくそばに停泊していたスクーナー〔帆船の一種〕まで燃えてしまい、130,000ドル(2010年の230万ドル)の損害が発生してメイン州の氷産業は窮地に陥った。 人工氷との競争が新たな段階に入ったことで、天然氷を取り扱う会社の経営者はいくつかの選択肢を試した。例えば天然氷の会社自身が人工氷に投資をすることもあった。あるいは氷を収獲する速度を上げるために新しい道具を使いはじめたりしたが、効率化という意味では人工氷製造の技術革新とは比べるべくもなかった。天然氷のよさを広報していくためにアメリカ天然氷協会が設立され、また消費者に広まっている、天然氷は人工氷よりも溶けるのが遅いという誤解に付け込もうとした。経営的に切迫した各社は、地元では流通網を独占している強みを生かし、都市部に供給する氷の価格をあえて上げた。最も有名な例の1つが、チャールズ・モースと彼が経営するアメリカン・アイス・カンパニーで、彼らは1900年の熱波のさなかにいきなりニューヨークにおける卸売価格をほぼ3倍に上げ、小売価格を2倍に押し上げた。これはさすがにスキャンダルに発展し、モースは訴追を避ける目的もあって氷貿易に関する自身の資産を手放さざるをえなくなったが、彼はこの結果1200万ドル(2010年の3億2000万ドル)もの利益を手にした。 1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦すると、アメリカの氷貿易は一時的に盛り上がりをみせた。戦争中にはヨーロッパへの冷蔵肉の輸出量が大きく伸び、既存の冷却設備に需要が殺到した。さらに戦争に向けて弾薬の製造にも力が入れられたため、冷却設備に必要なアンモニアと石炭の供給が乱れるようになった。アメリカ政府は、人工氷業者と天然氷業者の双方と協力して、負担軽減のため天然氷を使うよう広報に努めるとともに、適切な供給量の維持を図った。しかしイギリスとノルウェーにとっては、この戦争は天然氷の貿易に悪影響しかなかった。ドイツが北海をUボートで封鎖しようとしたことで輸出入が妨害され、イギリスは希少な国内の製氷機への依存が高まっていった。 戦後になると、天然氷産業はほとんど存在感がなくなるほど衰退してしまった。この産業は完全に人工氷と機械による冷却システムにシフトするとともに、家庭用に安価な電力によるモーター方式の冷蔵庫が普及した。1930年代にはアメリカで現代的な冷蔵庫が一般的になり1950年代にはヨーロッパ各国にも普及したため、家庭で氷がつくれるようになった。天然の氷の収穫量は劇的に減少し、それまで氷を貯蓄していた倉庫は放棄されたり、他の用途に転用された。本当の遠隔地では小規模な天然氷の利用はしばらく続いたし、コンテストやイベントなどで氷像をつくるために氷が収穫されることはあった。しかし20世紀の終わりになると、氷産業はその物質的な意味での名残をほとんど留めなくなってしまった。
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