血液型と人類学の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:59 UTC 版)
「ABO式血液型」の記事における「血液型と人類学の歴史」の解説
(注:「民族」は本来文化的なもので人種とは無関係だが、この項の『血液型の話』からの引用部位では「民族」を人種の意味で使用している部位がある。) 地域による血液型比率の違い血液型を人類学に最初に応用したのはルードヴィヒ・ヒルシュフェルド夫妻で、第一次世界大戦終結時にマケドニアに集まった各国の兵士8500人の血液型を調べた際、人種の相違によって比率が大きく違う(下図参照)ことを発見し、1918年5月5日にサロニカの医学会で報告。その後いろいろあって遅れたものの、1919年10月18日にイギリスの著名な医学雑誌『ランセット』に掲載された。 『ヒルシュフェルドらの分類』民族名(人数)O型%A型%B型%AB型%民族示数イギリス人(500) 46.4 43.4 7.2 3.1 4.5 フランス人(500) 43.2 42.6 11.2 3.0 3.2 イタリア人(500) 47.2 38.0 11.0 3.8 2.8 ドイツ人(500) 40.0 43.0 12.0 5.0 2.8 オーストリア人(?) 42.0 40.0 10.0 8.0 2.6 ブルガリア人(500) 39.0 40.6 14.2 6.2 2.6 セルビア人(500) 38.0 41.8 15.6 4.6 2.5 ギリシャ人(500) 38.2 41.6 16.2 4.0 2.5 トルコ人(500) 36.8 38.0 18.6 6.6 1.8 アラビア人(500) 43.6 32.4 19.0 5.0 1.5 ロシア人(500) 40.7 31.2 21.8 6.3 1.3 ユダヤ人(500) 38.8 33.0 23.2 5.0 1.3 マダガスカル人(400) 43.5 26.2 23.7 4.5 1.09 セネガル黒人(500) 43.2 22.6 29.0 5.0 0.8 アンナン人(500) 42.0 22.4 28.4 7.2 0.8 インド人(1000) 31.0 19.0 41.0 8.5 0.56 (注:オーストリア人の人数は全体が8500人なら600人のはずだが、出典の表で「?」とある。) 「民族示数」は「A型とAB型の合計百分率を分子」で「B型とAB型の合計百分率を分母」にした数値。A遺伝子を持つ人が多いほど大きくなる。 当時は血液型が個人で不変かどうか自体不明瞭であった(上記の兵士たちは基本的に似たような環境で同じものを食べていたが、もっと長期間の環境変化ではどうなるかは分かっていなかった。)ため、これが彼らの故郷の環境によるものか血統的によるものかがはっきりしなかったため重要視されなかったが、1921年ハンガリー(原書は「ハンガリヤ」表記)のヴェルザーとウェスツェッキーが自国内で当時出自が違う民族とすでに分かっていたドイツ系・蒙古系(注:マジャール人の事)・ジプシー(インド系)の民族の血液型比率を調べたところ、下図のようになった。 『ヴェルザー、ウェスツェッキーの研究』民族名(人数)O型%A型%B型%AB型%民族示数ドイツ系ハンガリア人(476) 40.8 43.5 12.6 3.1 2.9 蒙古系ハンガリア人(1500) 31.0 38.0 18.6 12.2 1.6 ジプシー(386) 34.2 21.1 39.9 5.8 0.6 これらの違いとドイツ系民族やジプシーはヒルシュフェルドのドイツ人やインド人との報告とほぼ同じ比率になったことなどから、離れた国に長期間住んでいても他との通婚が少ない場合血液型の比率が先祖とほぼ変わらないこと、逆に同じ国にいても先祖が違う集団は違ったままであることが判明した。 こうした結果より、民族の移動などを血液型から推測する研究がされるようになり、まず最初のヒルシュフェルド夫妻は『ヒルシュフェルドらの分類』の表のデータのうち、イギリス人からギリシャ人までを「ヨーロッパ型」、マダガスカル人からインド人までを「アフリカ・アジア型」としてその間の4民族を中間型とし、O型の比率はどこも極端に違わないのにA型とB型の人種差が極端に激しいので、「かつてA型を基本とするA人種(ヨーロッパの中~北部起源)とB型を基本とするB人種(インド北方起源)がいて、これが混血していき様々なABO式血液型の比率を生み出した。」という説を提唱した。 その後、世界各地の人種の血液型比率を調べていた際にスナイダーが混血が少ないアメリカ先住民族(原文は「アメリカ・インディアン」)にO型が極めて多い(453人を調べてOが91.3%だった)ことを報告し、これにより自分が提唱した後述の原則から「大昔はアメリカ先住民は100%O型だったのではないか」という説を提唱し、これ以外にドイツのベルンシュタインなども自分の三因子仮説などから原始人類の血液型はO型のみでそこからA・B型が突然変異したのではないかという説を上げていたが、カナダのアルバータ州でマトソンとシュラーデルが調査したところ、ほとんど混血のない先住民(前述のブラッド族・ブラックフィート族など)にA・O型が多くB・AB型が皆無という地域が見つかった他、オーストラリアでも白人との混血が少ないにもかかわらずA型の多い集団が発見され、原始人類はO型のみではないかという仮説は訂正された。 スナイダーは血液型を人類学に応用する際、以下の必要な四原則を定めている。 一民族の血液型分布率は、これと血液的に緊密な関係にある他民族の血液型の分布率と近似することが予期される。 一民族の血液型分布率が、これと血液的に緊密な関係にある他民族の血液型の分布率と大いに異なる場合、この民族はさらに他の民族との間に混血があることが予期される。 一民族の血液型分布率が、これと緊密な関係にない他民族の血液型の分布率と等しい場合、その祖先の時代において前者が後者あるいはその近い民族との間に混血があったことが想像される。 一民族がAまたはBのいずれか、あるいは両方を欠くか、その遺伝子頻度が非常に小さい場合、この民族は人類にAまたはBの突然変異が起こる前、またはAやBの広がる前からほかの民族と孤立して生存していたと考えられる。 この四原則は当てはまる場合も多いが、一致しない場合もあり他の証拠から近縁でさらに別の民族との交流が薄い民族同士でも分布率が大きく違い、逆に無関係のはずの2つの民族の血液型分布がほぼ一緒という場合もあるので、なるべく一定数以上の人数で広い範囲を確かな診断で調べる必要がある。
※この「血液型と人類学の歴史」の解説は、「ABO式血液型」の解説の一部です。
「血液型と人類学の歴史」を含む「ABO式血液型」の記事については、「ABO式血液型」の概要を参照ください。
- 血液型と人類学の歴史のページへのリンク