翔鶴の被弾と日本軍の追撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 06:32 UTC 版)
「南太平洋海戦」の記事における「翔鶴の被弾と日本軍の追撃」の解説
日本軍南雲機動部隊では、午前6時40分に翔鶴レーダーが135度距離145kmに敵機群を発見した。午前7時18分にSBDドーントレス爆撃機15機を確認する。直衛の零戦は15機(翔鶴10、瑞鶴5)だったという。まず重巡洋艦熊野が攻撃されたが、命中弾はなかった。ホーネット第1次攻撃隊は午前7時27分(日本時間10時50分)、日本機動部隊を発見する。直後に零戦9機からなる日本軍直掩隊が現れF4F 2機が撃墜された。急降下爆撃隊15機は戦闘機の掩護なく進撃を続けたが、更に零戦隊に襲われた。SBD 2機が撃墜され、2機が被弾により母艦に帰投した。残る11機は南雲機動部隊の旗艦翔鶴を攻撃し、飛行甲板後部に450キロ爆弾4発命中という戦果を挙げた。この攻撃で翔鶴では高角砲弾が誘爆するも、ミッドウェー海戦の時とは異なり航空機用燃料・弾薬誘爆を避けられたため、沈没には至らなかった。受信可能だが送信不可能になった翔鶴は消火作業を行いつつ北上し(8時20分以降、駆逐艦嵐が通信代行)、瑞鳳と護衛駆逐艦と共に戦場から避退した。南雲長官は航空戦の指揮を第二航空戦隊司令官(隼鷹)に委ね、瑞鶴を指揮するよう命じた。機動部隊司令部が駆逐艦嵐に移乗したのは、損傷艦がアメリカ軍機の攻撃圏外に出た夕刻のことだった。 エンタープライズ隊およびホーネット攻撃隊の一部(第一次攻撃隊のTBF 6機、第二次攻撃隊のF4F 7機、SBD 9機、TBF 9機)は日本空母を発見できず、南雲機動部隊前衛部隊を攻撃した。特にエンタープライズ隊は瑞鳳零戦隊と空中戦をおこなったため燃料が不足しており、さらに高度を失っていたので、目の前の機動部隊前衛を攻撃するしかなかった。雷撃機は鈴谷と磯風を狙い、鈴谷(第七戦隊司令官西村祥治少将、鈴谷艦長木村昌福大佐)は複数の魚雷を回避した。また利根も魚雷を回避した。また3機のドーントレスは金剛型戦艦を攻撃し、二番砲塔と右舷中央に命中させたと主張する。実際に彼らが攻撃し大破させたのは、戦艦ではなく利根型重巡洋艦の筑摩だった。前衛艦隊の先頭にいた筑摩は午前7時から8時にかけての空襲で複数の爆弾が命中、多数の乗組員が死傷し、艦長の古村啓蔵大佐は負傷した。午前9時19分、最大発揮速力23ノットとなった筑摩は、駆逐艦2隻(谷風、浦風)に護衛されて退避した。 日本軍前進部隊(第二艦隊司令長官近藤信竹中将)に属していた角田覚治少将麾下の第二航空戦隊(空母隼鷹)は、まず午前7時に隼鷹第1次攻撃隊29機(指揮官志賀淑雄大尉:艦爆17機、零戦12機)を発進させた。午前8時40分ごろ米軍機動部隊を発見。つづいて近藤長官の命令により午前8時18分をもって機動部隊指揮官(南雲忠一中将)の指揮下に入り、3隻(隼鷹、黒潮、早潮)は機動部隊本隊と合流すべく行動を開始(前進部隊との分離は9時30分)。続いて南雲部隊旗艦翔鶴の被弾と通信能力喪失により航空戦の指揮をまかされ、瑞鶴を指揮下に入れた。 二航戦第一次攻撃隊は、午前9時20分以降、第16任務部隊に対する攻撃を開始した。雲高3500メートル雲底500メートルと視界が悪く、攻撃は分散され、また爆撃精度も悪化した。空母を狙おうとして果たせず、仕方なく護衛の戦艦や巡洋艦を爆撃した機もある。攻撃隊はエンタープライズに至近弾1発を与え、右舷中央部の船体を60センチ陥没させ、若干の浸水が始まった。戦艦サウスダコタには4発の爆弾が投下され、1発が第一砲塔に命中する。艦長が軽傷を負い、付近の銃座に損害を与えたが、決定的打撃とはならなかった。にも関わらず、動揺した士官が操舵系を無断で第2戦闘指揮所に切り換えたため数分間操艦不能となり、結果サウスダコタは空母エンタープライズに突進した。この時はエンタープライズが4万トンの巨艦を回避し、大惨事をまぬかれた。また軽巡サン・ファンには6発の爆弾が投下され、内1発が艦尾に命中したが、船体を貫通して海中で爆発した。サン・ファンは一時的に操舵不能となった。隼鷹第1次攻撃隊は攻撃終了後、集合点に集まったところを先回りしたアメリカ軍戦闘機に襲われ、艦爆9機が一挙に撃墜されたという。二航戦第一次攻撃隊は艦爆11(自爆9、不時着2)を喪失し、零戦4機が瑞鶴に着艦した。
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