織田信長との戦いとは? わかりやすく解説

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織田信長との戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 15:37 UTC 版)

三好義継」の記事における「織田信長との戦い」の解説

永禄11年1568年)に織田信長足利義昭義輝の弟)を擁立して上洛してくる際、松永久秀、及び彼と手を組む義継は、信長の上洛に協力した天野忠幸は、信長の上洛は久秀と義継が招いた結果であり、後の彼らの末路考慮すればこの判断間違いであったことは言うまでもない指摘する。 義継は久秀と共に降り河内北半国と若江城領有安堵された(抵抗した三人衆居城落とされ阿波国逃亡、義栄も上洛出来ないまま急死)。永禄12年1569年1月阿波から畿内上陸した三人衆義昭襲撃すると、畿内信長派と合わせて三人衆撃退本圀寺の変)、3月信長仲介により義昭の妹を娶るその後しばらくは信長の家臣として三人衆など畿内の反信長勢力戦っていたが(野田城・福島城の戦い)、元亀2年1571年)頃から久秀と手を結んで信長反逆し信長包囲網一角加わった元亀3年1572年)には織田方の畠山昭高細川昭元いずれも信長妹婿)と河内摂津方面戦い勝利している。 しかし元亀4年天正改元1573年4月信長最大強敵であった武田信玄病死する織田軍の反攻始まり7月には義兄にあたる足利義昭信長によって京都から追放され室町幕府滅んだ

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織田信長との戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 20:08 UTC 版)

吉川元春」の記事における「織田信長との戦い」の解説

元亀2年1571年)、父・元就死去すると、その跡を継いだ甥・毛利輝元隆元嫡男)を弟の隆景と共に補佐する役目担った。 しかし元春に敗れた尼子勝久らは、中央勢力拡大していた織田信長頼り、その援助背景にして抵抗続けるようになるまた、天正4年1576年)に最後室町幕府将軍である足利義昭毛利氏頼って備後国鞆に下向すると、織田氏との対立決定的となる。天正5年1577年)からは織田信長の命を受けた織田氏重臣羽柴秀吉率い中国遠征軍が播磨国侵攻する。元春はこれを迎撃し、天正6年1578年)には尼子勝久山中幸盛籠る上月城攻撃し尼子勝久らは降伏し自刃宿敵山中幸盛処刑され尼子再興軍の動き止めた上月城の戦い)。 その後も元春は織田軍と各地戦い続けたが、天正8年1580年)には三木城落城し、城主別所長治自害。そして備前国宇喜多直家伯耆国南条元続織田家与し豊後国からは大友宗麟織田信長呼応して毛利領に侵攻天正9年1581年)には因幡鳥取城吉川一族の吉川経家自刃するなど、毛利家次第劣勢となる。 天正10年1582年)、清水宗治らが立て籠る備中高松城羽柴秀吉攻撃されたため、元春は輝元・隆景らと共に救援赴いた備中高松城の戦い)。しかし、秀吉の水攻めによって積極的な行動に出ることができず、また秀吉も元春らと戦うことで被害拡大することを恐れて迎撃しなかったため、戦線膠着状態となる。 そのような中、6月2日織田信長明智光秀謀反死亡した本能寺の変)。羽柴秀吉本能寺の変毛利側に隠しつつ、「毛利家武将のほとんどが調略受けている」と毛利氏外交僧・安国寺恵瓊知らせる。これで毛利側は疑心暗鬼に陥り、和睦受諾せざるを得なかった。結果備中高松城開城し、清水宗治らは切腹織田軍は備中国から撤退した。なお本能寺の変伝え報せ毛利方にもたらされたのは秀吉撤退の日の翌日で、紀伊雑賀衆からの情報であったことが、吉川広家覚書案文)から確認できる。 『川角太閤記によれば、元春はこの際追撃主張したが、隆景に制止されたという。一方で、『吉川家文書』では、両名追撃無謀であり、失敗すれば毛利は次こそ滅ぼされる懸念し光秀討伐引き返してゆく秀吉見逃した記述されている。

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