織田信長による政権の確立
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「安土桃山時代」の記事における「織田信長による政権の確立」の解説
「織田政権」を参照 戦国大名の中で織田信長の勢力が次第に強大になり、足利義昭を奉じて京都に上洛したことで、信長が天皇や室町幕府の将軍の権威を利用して畿内および東海地方を支配した。兵農分離や主力の戦闘行為の武器を弓矢から鉄砲に変える軍事改革を実施した。楽市・楽座、関所の廃止、堺など自治都市の支配や撰銭令などの経済政策が実施された。元亀4年(1573年)に信長が足利義昭を京から放逐すると、室町幕府は事実上崩壊し、織田政権が確立する。天正7年(1579年)に信長の目前で浄土宗と日蓮宗の仏教宗派の正義論を討論させる安土宗論を実施して敗北した日蓮宗を弾圧するなどの仏教政策があった。天正4年(1576年)に安土城が築城された。畿内を中心に東海地方・北陸地方などを支配した。信長の支配により平和を取り戻した京を中心に新たな文化が花開いていった。信長はその後も勢力を拡大し日本中央部を制圧して天下統一は目前と思われたが、天正10年(1582年)の本能寺の変で自害した。
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