仏教政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 07:52 UTC 版)
太祖は仏僧に教育を受けた関係で、仏教を篤く信仰していた。その治世に仏教を奨励したことで、僧侶の社会的地位は高まった。太祖の即位に功のあった万行は国師として国政を掌握した。しかし仏教奨励の影響で、国政に参与しない僧までもが広大な封地を手にするようになった。 太祖が築いた都・昇龍の城外には多くの寺院が立ち並んだ。官人は寺院に多額の布施を行い、大鐘を鋳造させた。仏教の隆盛に伴い、自ら剃髪する者が増えたため、順天10年(1019年)に太祖は全土の民衆に詔して、正式な得度を定めた。宋に遣わされた使節は、その都度大量の三蔵経をもって帰国した。
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