仏教文化とキリスト教以前のギリシア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:25 UTC 版)
「仏教とキリスト教」の記事における「仏教文化とキリスト教以前のギリシア」の解説
「仏教の歴史」および「グレコ・ブッディズム」を参照 「グレコ・ブッディズムの禁欲主義」も参照 ウィル・ドゥーラン(英語版)は、アショーカ大王がインド国内やスリランカにだけではなく、シリア、エジプト、ギリシアにも宣教団を送ったことに言及しており、1930年代に、そういった宣教団のおかげでキリスト教の教えが広まる下地ができたのではないかと推測した。 アショーカ王がその布告所の中で言及している君主の一人プトレマイオス2世が、ディオニュシオスという名の使節をパータリプトラにあるマウリヤ朝の宮廷に派遣したことを大プリニウスが記録している: 「メガステネスのような、インドの王の宮廷に滞在した何人かの著述家や、プトレマイオス2世によってインドに派遣されたディオニュシオスが、インドについて論じてきた。彼らは皆、インドの国々の力や莫大な資源について詳しく述べている。」 民俗学者で歴史家のドナルド・アレクサンダー・マッケンジーは、著書『キリスト教以前のブリテン島における仏教』(1928年)で、仏教がキリスト教以前のブリテン島に影響したかもしれないと主張している。 ヘレニズム哲学に対して東洋思想が影響したという言説は20世紀前半には盛んに行われたがそれ以降は下火になり、今日では懐疑主義のピュロンに対するものを除けば過去のものとなった。ピュロンがアレクサンドロス3世(大王)遠征に随行しインドの裸行者やマゴス神官と交流した、というディオゲネス・ラエルティオスの記述に基づいて今日でもピュロンと東方思想との関係が想像されている。
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