対仏教政策とは? わかりやすく解説

対仏教政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:48 UTC 版)

李淵」の記事における「対仏教政策」の解説

高祖唐朝創業当初仏教に対してはその存在容認する立場取り、また法会行なっている。また、唐の正統性擁護するような慧化尼衛元嵩予言詩を隋からの受禅利用したことも『大唐創業起居注』の中に見える。武徳3年620年)には、1月5月9月三長斎月刑死執行せず、また殺生禁断命ずるほど、仏教不殺生戒の周知努めていた。 しかし翌武徳4年621年)になると隋代建立された諸寺院廃止し洛陽城内には名徳ある僧30名、尼30名のみをとどめ、その他は還俗させている。 さらに武徳9年626年)には太史令傅奕十一箇条の上奏文内容基づいて高祖仏教と道教をともに廃毀する詔を発した。それは40余年前に北周武帝衛元嵩の上表文をもとに仏道二教廃したのを彷彿とさせる措置だった。その詔によれば徳行ある僧尼道士女冠大寺大観に住せしめてその他の者は還俗させ、長安には寺3か所、道観2か所を残し天下の諸州にも各1か所を残して、その他はことごとくく廃毀させることを求めた。しかし同年6月4日玄武門の変によって高祖退位したため、詔の内容実施移されることはなかった。

※この「対仏教政策」の解説は、「李淵」の解説の一部です。
「対仏教政策」を含む「李淵」の記事については、「李淵」の概要を参照ください。

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