対人関係における影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:27 UTC 版)
「児童性的虐待」の記事における「対人関係における影響」の解説
フェレンツィ・シャーンドルが1933年の著書『大人と子供の間の言葉の混乱』で書き残したように、性的虐待を受けた場合「優しさ」と「情熱」を表す言葉の間に混乱が生じることも知られている。性的虐待を受けた人たちが「セックス」「愛情」「慈しみ」「親愛」「虐待」といったものに対する感覚の混同をきたしてしまうと、結果として人間関係における経験を誤認してしまい、性的かつ虐待的なものがそのまま愛情として認識されたり、逆に喜ばしい関係性が虐待的だと感じるような歪んだ認識が生まれるのである。 親や養育者など親のような相手から性的虐待を受けた場合、裏切り者で頼りにならず、信用できない権威者像を内面化する。そのため、愛着形成能力は著しく損なわれ、自分が好きになったり頼りにした人間たちからは必ず裏切られるという感覚を持つようになる。その結果として、性的関係は愛ではなく権力に基づくと考え、恋人に対して支配/被支配の単純構図しか持てなくなってしまう。また一方で人間関係に伴う不安をこれを受け流す方法として、人との付き合いを形式的で感情の伴わないものにしようとする。夫や妻に満足させるようなセックスをさせようとしないことはこの一例である。 こういったものは虐待時に矛盾したことを言われ続けたことに原因があるといわれている。例えば「大人を信じろ」という教えは多いが、これは性的虐待を受けた場合「性的虐待に耐えろ」というメッセージにすりかわる。また、脅迫や力を用いて虐待を行いながら「愛している」などと言えば、暴力こそが言葉上の愛となる。 また、虐待の責任は自分にあると思い込む人は少なくないが、こうした場合何でもかんでも自分のせいにしてしまいやすい。自分に何が起こっても、周囲がどんな心理状態にあろうと、全て自分に責任があると思い込むのである。こういった場合、例えば職場で何かが起こっても、それを人のせいだとは全く考えず自分のせいだと思い込み不安反応をきたしたりする。
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