傅奕とは? わかりやすく解説

ふえき 【傅奕】

中国唐初の官僚で排仏論者相州河北省安陽県)の人。道士として隋の漢王楊諒仕え唐の高祖の時、排仏論『寺塔僧尼沙汰十一条』を上呈、計七度わたって上表高祖教団整理影響与えた。だが粛清勅命直後玄武門の変高祖退位し粛清だけは実施されなかった。(五五四~六三九)→ 法琳

傅奕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 03:56 UTC 版)

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傅 奕(ふ えき、555年天保6年) - 639年貞観13年))は、中国代初めの天文暦法学者であり、また、官途に就く前は道士であり、激烈な排仏論者としても知られる。相州鄴県の人。

生涯

唐の創業に当たって、太史令に任ぜられ、新しい漏刻の法を制作して上進し、採用された。

また、何度も仏教排斥を求める上奏文を上り、「文飾妖幻の教」である仏教が人民を妖惑しており、国家にとっては百害あって一利もない存在であるため、直ちに廃毀すべきことを求め続けた。甚だしきに至っては、その臨終前にも再びその諸子に誡告を与え、くれぐれも妖幻の教を学ぶことのないように言い残している程である。

彼は魏晋南北朝以来の排仏の論を集めて『高識伝』10巻を撰しているが、この書は早くに亡佚してしまい、道宣の『広弘明集』に批判的に収録された形で見られるのみである。彼の排仏論は、『旧唐書』巻79の本伝、『広弘明集』、『全唐文』中に収録されている。

傅奕の名は正統道蔵に収録されている『道徳経古本篇』の編者としても残されている。




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