寺院整理(仏教政策)と儒教奨励
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「羽地朝秀」の記事における「寺院整理(仏教政策)と儒教奨励」の解説
古琉球期以来、琉球では仏教が盛んであった。島津の琉球侵攻後は、薩摩によって部分的なの寺院建立制限は受けたものの、寺院建立や既存寺院の修復・再建は活発に行われていた。また1661年に羽地が薩摩に渡った際、新納又左衛門久了から薩摩の制度や仏教の教義を研究して帰るようにとの注意を受けてもいた。 ところが、仏教徒による結党が問題視されることにより、1662年には江戸幕府は出家・山伏・行人等の活動を規制した。これに呼応して、琉球においても仏説の講談等が規制され、代わりに儒教が奨励されたのである。このことにより羽地は、改革の一環として寺院の新建や修復再建を一ヶ寺たりとも行うことなく、また知行地を整理・削減するといった寺院整理を行っている。 また1671年には、久米村より出された孔子廟創建の請願を羽地自身が許可している。
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