寺院復興とは? わかりやすく解説

寺院復興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 00:53 UTC 版)

天台寺」の記事における「寺院復興」の解説

寺の復興始まったのは上記事件収まった頃である。この機運高まり昭和50年1975年)、天台宗東北大本山中尊寺貫主であった今春聽今東光)が特命住職拝命翌年4月晋山式行った聖観音像を前立佛とし、本尊十一面観音像丈六立像)の新たな造立を発念した晋山復興への強い決意吐露する法話録音現存する今春聽昭和52年1977年9月S字結腸癌のため急逝するものの、その遺志受け継がれ夫人の今きよにより1千万円が寄贈され重要文化財菩薩像)や廃仏毀釈時に被害受けた神仏像などの「収蔵庫」が建設された。 昭和53年1978年)、新たな梵鐘(鐘銘撰文山田恵諦座主)、鐘楼と、東光春聽大和尚供養塔完成し秋には今きよの発願により「天台寺開創1250年記念」の法要厳修された。随喜参列者もわずか数名で、読経中に堂内突風吹き荒れ丈六像(薬師如来坐像)の右腕がはずれ落ち堂守急遽、鉤釘で補修するという状態であったが、法要終了後には虹がかかり、その後瑞兆となった復興に最も大きな影響があったのは、春聽の法弟子、瀬戸内寂聴住職就任昭和62 1987年)である。寂聴は寺の復興注力し、在職中天台寺東北有数の有名寺院押し上げた昭和51年1976年)、第71世、特命住職として今春聽今東光)が就任昭和53年1978年)、第72世の住職として菅野澄覚が就任この間一人住職短期間存在する 昭和62年1987年)、第73世の住職として瀬戸内寂聴就任平成17年2005年)、第74世の住職として菅野澄順が就任令和3年2021年)、第75世の住職として菅野宏紹が就任

※この「寺院復興」の解説は、「天台寺」の解説の一部です。
「寺院復興」を含む「天台寺」の記事については、「天台寺」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「寺院復興」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「寺院復興」の関連用語

寺院復興のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



寺院復興のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの天台寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS