寺院復興
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寺の復興が始まったのは上記事件の収まった頃である。この機運の高まりに昭和50年(1975年)、天台宗東北大本山中尊寺貫主であった今春聽(今東光)が特命住職を拝命、翌年4月晋山式を行った。聖観音像を前立佛とし、本尊十一面観音像(丈六立像)の新たな造立を発念した晋山・復興への強い決意を吐露する法話録音が現存する。今春聽は昭和52年(1977年)9月にS字結腸癌のため急逝するものの、その遺志は受け継がれ、夫人の今きよにより1千万円が寄贈され、重要文化財(菩薩像)や廃仏毀釈時に被害を受けた神仏像などの「収蔵庫」が建設された。 昭和53年(1978年)、新たな梵鐘(鐘銘撰文:山田恵諦座主)、鐘楼と、東光春聽大和尚供養塔が完成し、秋には今きよの発願により「天台寺開創1250年記念」の法要が厳修された。随喜参列者もわずか数名で、読経中に堂内に突風が吹き荒れ、丈六像(薬師如来坐像)の右腕がはずれ落ち、堂守が急遽、鉤釘で補修するという状態であったが、法要終了後には虹がかかり、その後の瑞兆となった。 復興に最も大きな影響があったのは、春聽の法弟子、瀬戸内寂聴の住職就任(昭和62 1987年)である。寂聴は寺の復興に注力し、在職中に天台寺を東北有数の有名寺院に押し上げた。 昭和51年(1976年)、第71世、特命住職として今春聽(今東光)が就任。 昭和53年(1978年)、第72世の住職として菅野澄覚が就任。 この間に一人住職が短期間存在する 昭和62年(1987年)、第73世の住職として瀬戸内寂聴が就任。 平成17年(2005年)、第74世の住職として菅野澄順が就任。 令和3年(2021年)、第75世の住職として菅野宏紹が就任。
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