寺院建立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/23 15:48 UTC 版)
この龍門寺は龍蓋寺(岡寺)とともに当初、興福寺僧が二寺の別当を兼務し、興福寺の末寺となった。その後、興福寺別当が龍門寺別当をも兼務することとなり、龍門寺周辺は興福寺の寺領となった。時代が下るにつれ、龍門寺周辺の庄園開発が、積極的に行われる。龍門山の南側の麓には小盆地が広がっており、比較的なだらかな地形であったので、発展することになる。これらの庄園は「龍門庄」または「龍門寺庄」と呼ばれる。 なお、龍門庄の範囲は現在の吉野町東北部にあった旧龍門村、旧中龍門村、現在の宇陀市西南部にあった旧上龍門村にあたる。
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