仏教徒との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 16:13 UTC 版)
「スリランカのキリスト教」の記事における「仏教徒との対立」の解説
スリランカにおける仏教徒とキリスト教徒との対立の歴史は長く、1883年には既に暴力的な対立が生じていた。この事件の背景にはシンハラ仏教ナショナリズム(英語版)の高まりが存在していたが、その後攻撃の対象はタミル人へと移行し宗教間対立は比較的弱かった。一方、民族対立の影響はキリスト教徒内にも及び、同じキリスト教徒同士でもシンハラ人とタミル人の対立が深まっていった。 20世紀後半になると非主流派キリスト教団の活動が活発化し、それに対して仏教徒が警戒感を抱くようになった。その結果、キリスト教徒に対する暴力や教会の破壊などの事件も増加していった。これらの暴力の被害を受けたのはほとんどの場合、地方にある小規模の教会やその信徒であった。21世紀に入ると暴力はさらに増加し、キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(CCC)なども標的とされた。 2003年12月、仏教徒の間で尊敬されていた僧侶ガンゴダウィラ・ソーマ(英語版)が旅行先で突然死した。彼はテレビに多く出演し、宗教間対立を煽るような発言を繰り返していたため、多くの仏教徒から支持を得ていた。その彼の突然死はさまざまな憶測を生み、その中には福音派キリスト教徒による謀殺説も含まれていた。民族的、宗教的な排他意識が高まった結果、キリスト教徒への暴力も増加し、2003年と2004年にはキリスト教徒に対する攻撃が100件以上発生した。
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