織田信長と『敦盛』とは? わかりやすく解説

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織田信長と『敦盛』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 02:33 UTC 版)

敦盛 (幸若舞)」の記事における「織田信長と『敦盛』」の解説

直実出家して世をはかなむ中段後半一節に、 思へばこの世は常の住み家にあらず草葉に置く白露宿る月よりなほあやし金谷に花を詠じ榮花先立つ無常の風に誘はるる南の月を弄ぶ輩も 月に先立つ有為にかくれり人間五十年化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり一度生を享け滅せぬもののあるべきかこれを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ という詞章があり、織田信長この節を特に好んで演じた伝えられている。「人間じんかん、又は、にんげん五十年」は、人の世の意。 「化天」は、六欲天第五位の世化楽天で、一昼夜人間界800年にあたり化天住人定命は8,000とされる。「下天」は、六欲天最下位の世で、一昼夜人間界50年に当たり、住人定命500とされる信長16世紀人物なので、「人間」を「人の世の意味使っていた。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世50年歳月下天一日にしかあたらない夢幻のようなものだ」という意味になる。現代において、「(当時平均寿命から)人の一生五十に過ぎない」という意味としばしば誤って説明される場合があるが、この一節天界比較対象とすることで人の世時の流れ儚さについて説明しているだけで、人の一生五十と言っているわけではない。 特に、桶狭間の戦い前夜今川義元軍の尾張侵攻聞き清洲城信長は、まず『敦盛』のこの一節を謡い舞い陣貝吹かせた上で具足着け立ったまま湯漬食したあと甲冑着け出陣したという『信長公記』の伝記がある。 此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天の内をくらぶれば夢幻ごとくなり一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、ふけ、具足よこせと仰せられ御物召されたちながら御食をまいり、御甲めし候ひ御出陣なさる。-『信長公記

※この「織田信長と『敦盛』」の解説は、「敦盛 (幸若舞)」の解説の一部です。
「織田信長と『敦盛』」を含む「敦盛 (幸若舞)」の記事については、「敦盛 (幸若舞)」の概要を参照ください。

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