筑波大学時代
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1978年、油田は筑波大学電子情報工学系の講師に転任(のち、助教授)。教授の金山裕が前任の電気通信大学の頃から「山彦」と呼ばれる自律移動ロボットを開発しており、油田もこのシリーズの開発に参画するようになる。 1979年に開催された「全国ロボット大会」ではロボット「山彦」によりコース完走を達成。翌年1980年に開催された「全日本マイクロマウス大会」の設立にも競技委員として貢献する(のちに委員長も務める)。また、リアルタイムOSの導入や走行モジュールの開発など、研究プラットフォームとしても「山彦」シリーズの開発を進める。1985年には金山が異動し、油田が研究室を引き継ぐ。 1992年には教授に昇進。この年、油田は山海嘉之らを巻き込み、学内学生対象の自律ロボットの競技会「つくばロボットコンテスト」を開始する。テーマは自律移動ロボットが校舎廊下の周回コースを回るもので、4月から製作を開始して10月の大学祭で競技を行うスタイルであった。初年度は有志参加で、次年度から授業科目となり、課題も数年おきに高度化していった。1999年には改組により、所属が機能工学系になる。 油田は2000-2002年には工学システム学類長を、2002-2004年には機能工学系長を担当し、2004-2006年には理事・副学長(研究・産学官連携・社会貢献担当)を務めた。その後の2006-2010年には、同大学の産学リエゾン共同研究センター長に就任している。この間、研究室では移動ロボットプラットフォーム「山彦」が活用され、障害物認識用全方位ソナーリング、確率的な自己位置推定、自らバッテリー充電に向かうロボット、GPSを用いて屋外で自己位置推定するロボットなどが研究開発された。 また、油田は産学協同研究も推進。日立製作所のロボット「EMIEW」には障害物回避制御技術を提供し、北陽電機とは自律移動ロボット用の小型軽量なレーザー測域センサ「URG」シリーズの開発に取り組んだ。さらに、つくば市内の市街地で自律移動ロボットが決められた道路を走行する競技会「つくばチャレンジ」を2007年に創設し、油田は実行委員長に就任する。なお改組により、2011年から筑波大学大学院 システム情報工学研究科 知能機能専攻 教授。 2012年3月に筑波大学を定年退職。油田は焚き火ができるようにつくば市の自宅に広い庭を持っており、最終講義の翌日には自宅でバーベキューをふるまっている。なお、自宅の庭では炭焼き窯による竹炭づくりも嗜んでおり、多くの犬や猫に加えて一時は山羊やチャボ (鶏)まで飼っていたという。
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筑波大学時代
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1979年11月、筑波大学の物質工学系の助教授に着任した。応用志向に研究テーマを変えていく研究者が多い中で、ポリアセチレンに関する基礎研究を中心に置き続けた力量が高く評価されている。1982年に教授に昇進した。1984年には日立製作所との共同研究で、液晶の配向を利用して繊維の方向を揃えたポリアセチレンを作製し、従来のものよりも導電性を高めることに成功した。学生や若手研究者に対しても柔軟に接し、一緒に研究を進めやすかったといわれる。高校生を対象にした一日体験教室では、わざわざテキストを作成して授業に臨むなど、教育への関心も高かった。 1991年6月にスウェーデンのルレオで開催された導電性高分子に関するノーベルシンポジウムに招かれ、約40名の出席者で1週間にわたる討論を行った。この時に、もしも同分野からノーベル賞を受賞する人物がいるならばヒーガー、マクダイアミッド、白川の3人だ、という合意が出席者間でなされた。1997年にはネマティック液晶を利用して繊維をねじったヘリカルポリアセチレンを合成し、電磁応答の発現が期待された。学務面では、1994年から第三学群長を3年間務めている。
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