空間と時間の世俗化と強制的聖職放棄
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「フランス革命期における非キリスト教化運動」の記事における「空間と時間の世俗化と強制的聖職放棄」の解説
「フランス革命暦」も参照 反教会的な諸法が、 立法議会とそれを引き継いだ国民公会あるいはフランス全土の各自治体の議会を通過した。1793年における非キリスト教化運動の多くは、戦争資金を賄うために教会の金銀製の器物を押収する必要によって動機づけられた。 1793年11月、アンドル=エ=ロワールの地方議会は "dimanche"(「日曜日」の意味)という言葉を廃止した。同じ1793年11月、グレゴリオ暦 (1582年に教皇グレゴリウス13世によって制定された暦)が廃止され、代替する暦として共和暦(フランス革命暦)が採用された。グレゴリオ暦には、安息日、復活祭に代表されるキリスト教の大祭、聖人祝祭日がふんだんに盛り込まれ、1日ごとに守護聖人の名が記されていたが、これも廃止された。宗教上の休日は禁止され、収穫やその他の非宗教的シンボルを祝うための休日に置き換えられた。7日間であった週は10日間となった。7日に1日の休日(安息日)は、天地創造において神が7日目に休息したという『旧約聖書』の神話にもとづくものであったが、十進法が合理的で平等であるように考えられたためであった。革命暦(共和暦)では元日を第一共和政発足の1792年9月22日と定め、1年12か月はすべて平等に30日に分割した。のこりの5日は「サンキュロットの日」と名づけられて市民が祝祭をおこなう予備日とした。1日を等しく10時間にすることもおこなわれた。ひと月は十進法にもとづき、10日単位の旬日で3分割され、各旬の末日が休日とされたのである。しかしながら、9日連続の仕事はあまりにも過重であること、国際関係にかかわる業務はフランス国外のどこでも使用されているグレゴリオ暦の制度に戻らなければ運用できないことがすぐに判明した。そのため、1795年にはグレゴリオ暦の再構成がすでに始まっている。また、グレゴリオ暦は農事暦としても適合していたにもかかわらず、農本主義を唱える革命政府が秋から始まる革命暦を採用したのは矛盾していた。 反教権主義のパレードは続けられ、1793年11月、コミューンの活動家たちに連行されたパリ大司教(英語版)のジャン=バティスト=ジョゼフ・ゴベル(英語版)は国民公会の演壇に立って僧職の離脱を宣言し、彼のミトラ(司教冠)は赤い「自由の帽子」に取り換えられた。彼は、みずからの叙任状と十字架、司教用の杖と指輪を壇上に置いて「革命が成った以上は自由と平等の宗教以外に国民的な宗教はもはや不要である」と述べた。聖職者議員たちは次々とこれにしたがった。僧職離脱を拒否してキリスト教の信仰告白をおこなった勇気ある議員はアンリ・グレゴワール司教だけであった。これ以降、聖職放棄は地方へも急速に波及し、憲法派僧すなわち教区僧2万6,542人のうち半数強にあたる1万3,000人ないし1万5,000人が聖職放棄の強制に応じた。非教区僧を加えた聖職者全体は1万6,000人から2万人におよぶと考えられており、教区聖職者はアンシャン・レジーム期の4分の1に落ち込んで、立憲教会体制はこうして内側から切り崩されてしまった。 聖職放棄には妻帯の強制をともなうことが少なくなかった。僧侶の独身は「カトリック的偏見の産物」とみなされ、聖職者と市民を隔てる障壁と考えられた。およそ6,000名の僧が教会法では許されない妻帯に手を染めた。偽装結婚で切り抜けた者もいないわけではなかったが、こうした聖職放棄や妻帯は国家への忠誠宣誓以上に人びとのあいだに聖職者への抜きがたい不信感を植え付けることともなったのである。 世俗化がはかられたのは時間ばかりではなく、空間も同様であった。宗教的な由来を持つあらゆる種類の街路や場所の名前が改変され、ロワ(王)やシャトー(城)のついた地名が君主政や封建制度を連想させるものだとして忌避された。たとえば、ベルギーのシャルルロワ(シャルル王)はシャールリーブル(自由の戦車)に、サンテチエンヌはアルムヴィル(武装せる都市)、南仏のサントロペはエラクレス(ヘラクレス)と改称された。パリではモンマルトル(殉教者の丘)がモン・マラー(マラーの丘)に、シテ島がイール・ド・ラ・フラテルニテ(友愛の島)に改変された。新しい地名に採用された名辞としては、自由、平等、友愛、市民、国民、共和国などといった公民的な要素を示したものや革命精神を表現したもの、あるいはフランス革命の英雄や古代の英雄など人名を冠したものなどがあった。これらの地名は、革命の終結やフランス復古王政の開始にともなって旧に復されたが、メートル法のみは空間秩序の基本をなすものとして今日まで保たれている。
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