福井晴敏による解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:10 UTC 版)
福井は、富野由悠季の作品を深く読み解きそのモチーフを探ることで、富野がガンダムシリーズの中で描こうとしていたニュータイプの裏設定に迫ろうとした。福井は富野が「ニュータイプは何かとひと言で言えるが、絶対に言わない」と発言していたことに着目し、富野が小説の中でニュータイプの境地を仏教的な悟りの境地と対照して説明していることや、『逆襲のシャア』の登場人物クェス・パラヤがインドでニュータイプになるための修行を積んでいたというエピソードなどを例示し、富野が思い描くニュータイプ像とは「仏様」のことであり、「人は死ぬと神の眷属になる」といった仏教的な死生観と近しい概念であるとし。そうであるとするなら、富野が描いてきた作品内の描写や台詞から推測される設定とも合致していると主張した。 福井は、富野によるソノラマ小説版『機動戦士ガンダム』の中でアムロ・レイとララァ・スンが意思を通わせる場面の描写や、富野が脚本を手掛けた『機動戦士ガンダム』『機動戦士Ζガンダム』の中でニュータイプ能力の片鱗を見せたさまざまな登場人物たちの台詞から類推される断片的な情報を根拠として、ニュータイプの正体は複数の思惟が重なり合って融合した時に生まれる複合知性体であるとした。また、宇宙世紀の世界には明らかに死者の魂が行き着く死後の世界が存在するとし、劇中で死後の世界を垣間見た登場人物の台詞などから、それもまた死者の魂が折り重なって融合した複合知性体であり、時間を超越した四次元以上の高次元へと移行した世界であると類推した。福井は(富野の作品で描かれてきた)ニュータイプの異常性を「死んだ人と会話ができること」「死後の世界の力を引き出すこと」であると指摘し、ニュータイプの概念と宇宙世紀における死後の世界の概念は近しい存在であり、通常は死によって得られる境地に生きながら到達した者こそが真のニュータイプとなるが、劇中の登場人物たちはその境地までには至ってはおらず、入り口に立った者に過ぎないのである、としている。 劇中のニュータイプ能力者が見せる、稲妻のエフェクトが走ってビーム攻撃を回避するような挙動も、高次元にある死後の世界と繋がる能力の一端と解釈される。宇宙世紀における死後の世界は、『機動戦士ガンダム』劇中でララァが死の寸前に発した「刻(とき)が見える」という台詞が示すように、三次元に加えて時間の軸が可視化された、四次元以上の高次元(多次元世界)である。そのような高次元の世界と繋がることによって、ニュータイプ能力者は未来を予知してビームを避けることができるのである、というのが彼の解釈である。あるいは、ニュータイプの素養を持つ者が高次元の世界(=〝全体〟のいる世界)と繋がり、「時が見える」状態になっている間は、宇宙創造から終末までの全てを把握できる全知の存在となる。福井は、ニュータイプ能力者がビームの弾道をやすやすと避けられるのはこの能力の一端である、と解釈している。 一方で福井は、『Ζガンダム』の主人公カミーユ・ビダンの終盤における台詞や、霊的な存在となって彼を支える死者たちの台詞から、死後の世界が誰もがニュータイプになれる世界であるにもかかわらず、劇中において死が肯定的に受け入れられていない理由を類推し、高次元に達した死後の世界の複合知性体は、ただ存在するだけの存在であり、現世の物理に作用することができないというルールに縛られているのであろうと考え、死後の世界もまた生者の世界を必要としているのだろうと推測した。そのため高次の存在は、三次元の世界に人類を含む生命体を創造し、現世の人間が芸術作品の完成を待つかのように、宇宙世紀の全人類が真のニュータイプへと覚醒して高次の世界との融合を果たすのを待っているのだとする。真のニュータイプとなった人類が人の温もりとやさしさを維持したまま宇宙全体に働きかけられるようになるその時が「完成」なのであるとされる。福井はさらに、このルールには例外があるとしており、これはサイコミュやサイコフレームなど、宇宙世紀の戦場においてニュータイプ向けのモビルスーツを操縦装置として用いられてるテクノロジーを通じて、死者の世界は現世に物理的な形で干渉していると指摘した。『Ζ』の終盤の展開や、映画『逆襲のシャア』のクライマックスで描かれた、人の意思が物理的な力となって現れる現象は、そのようなテクノロジーを通じて、複合知性体となった死者や生者の力が物理的な力を得た描写であるとして理解される。 福井は『F91』以降の作品においてニュータイプの概念がほとんど登場しなくなったことについて、現実的にはカルト宗教の影響があり、富野が死生観を定義しすぎて若者に悪影響を与えることを危惧し、ニュータイプについて語ることを自粛した結果であろうとしつつも、劇中の世界では『F91』の時代までの間に人類がニュータイプの脅威に直面する何らかの事件があり、その影響であると考えれば辻褄が合わせられるという立場を取っている。 富野が他のスタッフや後発の作家に対してニュータイプの設定を明かさなかったのに対し、福井は『機動戦士ガンダムUC』の企画時点組み立てた前述のようなニュータイプの解釈を、OVA版『UC』の完結時に角川書店より出版された書籍『ガンダムUC証言集』(2014年12月発売)の中で公開しており、同内容の要約を、自身がストーリーを担当した2018年の映画『機動戦士ガンダムNT』のスタッフに伝達するなどして、作品内での概念の統一を図っている。
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