研究業績など
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鉱床学の研究では、所属した大学が置かれている地域の鉱床を精査する姿勢を貫いた。現地での調査を基礎に、鉱石の詳細な観察を行い、後年にはEPMA(電子線微小部分分析装置)による鉱物分析を加えて、鉱床生成過程を考察した。このような研究の中で、元素の新鉱物「自然ルテニウム」を発見したことは特筆に値する。また鹿児島大学時代には、南薩地域の金鉱床が北薩地域の鉱脈型金銀鉱床とは異なる特徴を持つことを明らかにし、南薩型金鉱床と命名した。またこのタイプの鉱床では、珪化岩が原岩の性質に規制されて水平方向に連続し、断面図ではきのこ状となることを指摘した。これは現在、高硫化型金鉱床として世界的に受け入れられている鉱床タイプの提案であり、金鉱床探査への大きな寄与であった。また、金属鉱業事業団の広域調査事業でも指導的な役割を果たし、菱刈鉱山の発見に貢献した。定年退職後にできた鹿児島大学総合研究博物館に、現役時代に収集した試資料を寄贈・登録し、これにより日本列島の金鉱石と母岩の時代別分布が示され,例を見ない展示となっている。このように教育と地域貢献でも功績は大きく、高く評価されている。これらの業績と学会への貢献により、資源地質学会の名誉会員に推薦されている。
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研究業績など
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東京大学の渡辺武男教授の指導により、卒業論文研究で岩手県野田玉川鉱山のマンガン鉱床を扱って以来、同種の鉱床の成因の追及を続けたが、住友金属鉱山(株)に就職してからは、同様の堆積物起源とされる含銅硫化鉄鉱鉱床の成因も追及した。また地層中に含まれる炭質物が、鉱床生成時の酸化還元環境に影響を与えることを考察・議論した。また当時導入され始めたEPMA(電子線微小部分分析装置)の測定値の補正計算について検討し,補正式を提案。広く日本の大学において用いられた。本人もこれを用いて、様々な鉱物の組成決定に関与し、多くの論文を発表している。北海道大学教授となってからは,北海道の鉱床の調査・記載とそれらの成因についての議論を多く発表するなど、鉱床学の広い分野にわたって旺盛な研究活動を続けたことで知られている。 北海道大学退職後は、長野県佐久町に在住。2003年9月21日夜、帰宅しないことに家族が気付く。田口峠登山口付近で、使用していたスクーターが発見されたが、その後の消息は知られていない。
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研究業績など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/09 04:52 UTC 版)
大学院時代から黒鉱型鉱床の成因的研究に取り組んだほか、花崗岩質マグマにおける各種元素の挙動について理論的・実験的研究を行い、多くの成果を挙げた。旧地質調査所に転任してからは、伊豆-小笠原島弧の水曜海山など、現世の海洋底における熱水活動を研究対象とし、深海潜水艇に乗りこんでの現場観察や試料採取、またそれらに基づく海底熱水鉱化作用の解明などに多大な業績を残した。またフランスや米国などとの国際協力による潜水艇での深海底探査などの大型プロジェクトの管理・運営にも大きな力を発揮し,国際的にも高い評価を得ている。このほか国内でのプレートの沈み込みを解明する深海底掘削事業などにも関与している。2000年代に入ってからは科学研究費補助金新学術領域研究(研究領域提案型)「海底下の大河:地球規模の海洋地殻中の移流と生物地球化学作用」を組織し、地球科学と生物学の融合に尽力し、また、総合科学技術・イノベーション会議による戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第1期課題の「次世代海洋資源調査技術(海のジパング計画)」でプログラムディレクターを務めた。国内外の多くの学会での評議員や編集委員なども歴任し、2008~2010年、2012~2014年の2期にわたって資源地質学会の会長を務めた。
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