研究業績と評価とは? わかりやすく解説

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研究業績と評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 13:44 UTC 版)

秋山謙蔵」の記事における「研究業績と評価」の解説

琉球貿易研究草分け一人である。高良倉吉は、1979年昭和54年)の時点で、秋山の日支交渉研究』(1939年)を「今でも古琉球期対外交易史に関する研究到達水準を示す作品」と高く評価している。秋山によれば琉球貿易研究志したきっかけは、1924年大正13年春に沖縄訪れ、「豪壮な首里城荒廃達してゐるのを見、旧くは此の地方中心とするかな対外交渉時代があつたことを推察し、それが何故この状態に立ち到つたかについて深刻な反省促されたからである」という。 1928年昭和3年)、『史学雑誌』第39第3号論文「Goresは琉球人である」を発表16世紀ポルトガル語史料見える「ゴーレス」と呼ばれる人々について、それまで日本人研究者の間では通説だった日本人説しりぞけ琉球人説を主張し前嶋信次岡本良知藤田元春らとの間に「ゴーレス論争」を巻き起こしたまた、『隋書』見える「流求国」について、沖縄説の立場から、台湾説を主張する和田清論争挑んでいる。さらに、日宋貿易をめぐり森克己論争挑んだ森克己によれば1936年昭和11年10月秋山和田英松宅で論争戦わせ、その晩に仲直りの盃を挙げた際、秋山に「今世の中はどんどん変わりつつある。いつまでも君のようなことをいっていたら、時勢遅れてしまうよ。僕は時勢遅れないように、この辺方針変えてゆくつもりだ」と語ったという。は、「私との論争秋山氏学究活動最後で、あれから秋山氏急速にジャーナリズム波に乗り行きついた先はパージであった」と述懐している。 戦時中売れっ子となり、全国各地講演して回った清沢洌『暗黒日記』の中で、「大東亜戦争導いた民間学者の中で最たるもの二人ある。徳富蘇峰秋山謙蔵だ。この二人在野戦争責任者だ。」と評している。『暗黒日記』には、秋山がたびたび新聞ラジオなどで元寇神風の話をしていたことが見える。 著書は多いが、大部分概説評論・随筆のたぐいであり、学術的著作といえるのは『日支交渉史話』(1935年)・『日支交渉研究』(1939年)・『東亜交渉史論』(1944年)の3冊程度限られている。

※この「研究業績と評価」の解説は、「秋山謙蔵」の解説の一部です。
「研究業績と評価」を含む「秋山謙蔵」の記事については、「秋山謙蔵」の概要を参照ください。

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