『暗黒日記』
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1942年(昭和17年)開戦1年後、清沢は「戦争日記」と題した、新聞記事の切抜きなども含む詳細な日記を記し始めた。いずれ時期が来れば、日本現代史(昭和史)の著述にあたり、その備忘録とするつもりであったとされる。官僚主義の弊害、迎合的ジャーナリズムの醜態、国民の対外事情に対する無知、社会的モラルの急速な低下などを記録する(広い意味でファシズムへの抵抗を示した)。この日記は1954年に『暗黒日記』の題名で、東洋経済新報社で出版され、数社で新版刊行された。 1945年(昭和20年)5月21日、終戦を目前に急性肺炎により東京築地の大東亜中央病院にて急逝した。吉田茂、石橋湛山という後に首相となった2人を知己にもち、戦後存命であれば政界・言論界で重きをなしたであろう知米派知識人の、55年の短い生涯であった。
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