相打つ「獅子反敵」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/08 00:25 UTC 版)
「駿河城御前試合」の記事における「相打つ「獅子反敵」」の解説
凄惨たる御前試合も午前の部最後である第五試合を迎えた。しかし、出場剣士である2人の姿が全く姿を現さない。この試合自体が、2人の望む形で組み込まれたものである以上、何か不慮の事故があったとも考えられた。だが、午後の部である出場剣士もいない以上、代わりの試合を執り行う事も出来ない。忠長の顔が険しくなる中、城の者達は早急に出場剣士を捜索すると、既に場外にて死闘が始まっていた。両者とも刀を構え、その身体には幾つもの傷跡を残していた。結果的に両者はそのまま試合場に乱入、このまま試合を執り行う事となった。この両者、元は同じ道場の門弟であり、竹馬の友であった。その2人が試合前から争う事となったのは青年時に生まれた僅かな溝からの宿縁であった。 鶴岡順之助(つるおか じゅんのすけ) 午前最後の部である第5試合「相打つ「獅子反敵」」の主人公。藩の一刀流師範・日向半兵衛正久の下で剣術を学んでおり、その実力から竜虎の異名を持つと同時に一刀流秘剣・獅子反敵の遣い手でもある。冷静で地味な性格であり、剛乃進とは対照的な人柄。17歳の頃、据物斬りにて剛乃進が両断に失敗したが、順之助は両断に成功する。しかし、この時口にした何気ない一言が剛乃進の自尊心を大きく傷つけることとなる。以後、剛乃進の仲は険悪なものとなり、それは周囲の目からも明らかなものとなった。しかし、順之助自身は応対を柔らかくする等、善処するものの、その溝は埋まる事はなかった。そうした中、遂に剛乃進と私闘寸前にまで至ってしまう。状況を重く見た藩上層部は、両名の同意の下で御前試合にて決着をつけさせる事とした。御前試合当日、順之助は銘刀を借りる事とするが、そのせいで若干到着の時間に遅れてしまう。試合に間に合わせる為に城門にて支度をする事にしていたが、偶然にも同じく遅れた剛乃進と遭遇。待ち伏せによる奇襲と勘違いした剛乃進は、順之助に刃を向けた。こうして、試合前から死闘を行わざるを得ない状況に陥る。 深田剛乃進(ふかだ ごうのしん) 第5試合「相打つ「獅子反敵」」のもう1人の主人公。順之助と同じく藩の一刀流師範・日向半兵衛正久の道場の竜虎の1人で一刀流秘剣・獅子反敵の遣い手。順之助と対照的で喜怒哀楽が激しい活発な性格。17歳の頃、順之助の何気ない一言によって彼に敵意を持つようになる。その後も、事ある毎に順之助の行動1つ1つを疎ましく感じるようになる。妻、酒茶屋、城内で起きた飯村九朗衛門の事件、これらの出来事全てに関わる順之助の行動全てが癪に障っていた。実際は剛乃進による誤解が多いのだが、既に冷静に考えられる状態ではなかった。ついに、その限界を超えてしまい、順之助に果し合いを申し込む。だが、藩庁は私闘を禁止、両者の脱藩を嫌った藩上層部は御前試合に両者を組み込む事にした。御前試合当日、順之助の妻・かずに出くわし、試合を止める様に嘆願されるがそれを無視する。かずは順之助と剛乃進の妻・加登に起きた出来事を誤解であると言いに来ただけであったが、剛乃進はそれを闘志を挫く為の順之助の策謀と深読みしてしまう。不運にも城門で、同じく遅れて来た順之助を見るなり、順之助が奇襲を目論んでいたと勘違いし先に斬りかかる。もはや、順之助を斬る以外考えられなくなってしまう。 かず 山岡家の娘で順之助の妻となった人物。以前、父の死後に剛乃進はかずとの結婚を考えるが、順之助の方が先に婚約していた為に、それは叶わなかった。剛乃進自身はかずを想っていた訳でなかったが、順之助もかずとの婚約を望み、結納を交わしてしまう。偶然、同じ女を婚約の対象にしたと考えられなかった剛乃進は、順之助が横取りしたという、ねじれた考えを持ってしまう。 加登(かと) 剛乃進がかずと順之助との婚約に対抗して婚約した相手。しかし、意地ずくで結婚した為に結婚後も上手く行く事はなかった。寛永6年4月5日の浅間神社での祭にて山車に押されて倒れかけた所を順之助に助けてもらう。だが、またしても偶然、剛乃進に出くわし、不義者として勘違いされてしまう。この一件で、剛乃進と順之助は寛永6年9月24日の御前試合にて果し合いをする事になってしまった。 千代(ちよ) 酒茶屋「しみず」で働く16歳の可憐な娘。家庭が上手くいっていなかった剛乃進はこの店に何度も通っていた。剛乃進は千代に何度も執拗に口説いていたが、偶然にも傍に居合わせた順之助の機転によって制止されてしまう。後に、剛乃進は順之助が千代をものにしたと聞く。実際は千代が順之助に酌をしていただけであり、剛乃進に伝えた者の誇張であった。だが剛乃進は、順之助が自分のものを横取りすると考え、憎悪を抱く一因となる。 飯村九朗衛門(いいむら くろうえもん) 寛永5年の春、宿老・鳥居土佐守に宛てた紹介状を持参して駿河大納言・徳川忠長に仕官を望んだ浪士。齢50に近いが、体躯抜群、鬚面に刀傷の偉丈夫。忠長の前での立合いの際、名を飯尾十兵衛、大坂の陣にて長曾我部盛親に従った武士として身分を偽っていた。しかし、その正体は切支丹(キリシタン)大名・明石全登に付き従っていた武士であった。自身も信徒であったが、偶然にも審判役の笹原修三郎によって正体を見破られてしまう。城の者達相手に奮戦し、剛乃進とも互角以上の勝負を繰り広げた。だが、騒ぎを聞きつけた順之助の剣によって破れる。この一件を剛乃進は順之助が手柄を狙い、疲労した所でとどめを刺したと誤った考え方をしてしまう。
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