長宗我部盛親
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長宗我部 盛親(ちょうそかべ もりちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期の土佐国の大名・武将。長宗我部氏第22代当主。長宗我部元親の四男。戦国大名としての長宗我部氏の最後の当主。
注釈
- ^ 長宗我部盛親没後300年を記念して制作されたという[1]。
- ^ 重臣の久武親直にも支持された。
- ^ ただし、吉良親実を別家させて、盛親に吉良氏を継がせる構想があり、天正18年(1590年)に作成された弘岡荒倉神社の棟札に記された「吉良千熊丸」を盛親に比定する説もある。
- ^ 例えば、島津氏の後継者であった島津忠恒(通称:又八郎、後の家久)は、長宗我部元親が没した慶長4年(1599年)、家督継承前にもかかわらず島津氏の後継者として少将を授けられている。
- ^ 直政は自らの家臣を土佐に派遣し、盛親自らが上坂して家康に謝罪するべきと勧めた。また『土佐国蟲簡集』では関東軍に備えて一領具足を浦戸に集結させて一戦を覚悟していたという。
- ^ 父の元親が家臣らの反対を押し切って強引に盛親を後継者に指名したため、まだ元親の死後間もない土佐では家中に不和がくすぶっていた。
- ^ 『土佐国編年紀事略』では盛親自らの意思で殺害したが『土佐物語』では久武が盛親の命令と称して勝手に殺したとしている
- ^ 家康は兄殺しの一件に父の元親に似合わぬ不義者として盛親を処刑しようとしたが、井伊直政の陳弁で死一等を減じたという。
- ^ 後藤基次の近習、長沢九郎兵衛の証言によると真田丸は「真田と長宗我部で半分ずつ受け持っていた」という。
出典
- ^ 東京都江戸東京博物館ほか編集 『徳川家康没後四〇〇年記念特別展 大関ヶ原展』 テレビ朝日ほか発行、2015年3月28日。
- ^ 津野 2014, pp. 154–155.
- ^ a b 津野 2012.
- ^ a b 平井 2008.
- ^ 津野 2014, p. 155.
- ^ 津野 2012, 「長宗我部盛親の家督継承」(初出は図録『長宗我部盛親』 高知県立歴史民俗資料館、2006年)
- ^ 平井 2013.
- ^ 津野 2014, p. 158.
- ^ a b c 山本, p. 250
- ^ a b 山本, p. 251
- ^ a b 平井 2016.
- ^ a b c 平井 2012.
- ^ a b 山本, p. 254
- ^ a b c d e 山本, p. 255
- ^ a b 山本, p. 256
- ^ a b c 山本 1988, p. 256.
- ^ a b c 長宗我部盛親の馬具、100年ぶりに一対そろう 京都・蓮光寺 - ウェイバックマシン(2016年4月20日アーカイブ分) - 京都新聞、2015年6月10日9時44分
- ^ ヨッピー (2024年3月29日). “「ワイ、戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の末裔説」を本気で検証してみた。佐賀の『はじまりの名護屋城。』をきっかけに遠い先祖(?)へ思いを馳せる”. 電ファミニコゲーマー. 株式会社マレ. 2024年3月29日閲覧。
- 1 長宗我部盛親とは
- 2 長宗我部盛親の概要
- 3 人物・逸話
- 4 外部リンク
長曾我部盛親
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 16:09 UTC 版)
かつての土佐の太守長曾我部元親の息子。秀吉の死の直後に父が急死したため関ヶ原直前の政治的動乱の中で上手く立ち回ることができず、成り行きで西軍に味方して敗戦大名となる。戦後は領地を召し上げられ、牢人して手習いの師匠にまで落ちぶれるが、豊臣家の誘いに応じて関ヶ原での雪辱を果たすために大坂城に入城する。
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長曽我部 盛親(ちょうそかべ もりちか)
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「百花繚乱 SAMURAI GIRLS」の記事における「長曽我部 盛親(ちょうそかべ もりちか)」の解説
かつて大阪の役に大阪城の五人衆として信繁らと共に戦った長曽我部盛親の名を継ぐ小柄な少女。幸村と同じくらいの幼さが残っているがBはあるらしい(幸村評)。
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