準プレイオフ
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「1991年の韓国シリーズ」の記事における「準プレイオフ」の解説
この年は、プレイオフや韓国シリーズよりも、準プレイオフの方が白熱したシーズンだった。勝率5割を切りながら、後半戦勢いに乗って4位で準プレイオフに進出したロッテ・ジャイアンツが注目の的になった。1984年以来、7年ぶりのポストシーズンになったロッテは、公式戦の善戦で予てから熱狂的で知られた本拠地釜山のファンに野球人気を再点火させ、韓国プロ野球史上初めて、年間観客動員100万人を記録する快挙を達成した。 三星ライオンズとの準プレイオフでも、1勝1敗で並んだ第3戦でリードを取っていたが、3回からリリーフでマウンドの上がった朴東煕(パク・ドンヒ)が走者を3塁において、投球動作をしながら手からボールが抜けないあっけないボークで同点を許した。しかし、これで緊張が取れたのか、このボーク以降、10回3分の2を投げ15個の三振を奪うなど、人が変わったような快投を繰り広げた。一方相手三星の金誠吉(キム・ソンギル)も1回から先発投手を救援して12回3分の1を投げ、白熱した投手戦を披露した。結局、打線の沈黙で試合はドローになったが、両投手は試合終了まで投げぬき、人々の記憶に残る試合の一つとして語られている。この第3戦は、現在まで準プレイオフでの唯一の引き分け試合である。 ロッテは朴東煕の好投にも、第4戦で三星の本塁打攻勢に屈して準プレイオフで姿を帰したが、年間観客動員の記録更新と公式戦では5勝12敗1分けと大きく負け越していた三星ライオンズ相手の接戦など、その健闘ぶりは賞賛に値すると評された。そして、この年の善戦は翌シーズンへの複線にもなった。
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準プレイオフ
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「1994年の韓国シリーズ」の記事における「準プレイオフ」の解説
ハンファとヘテは勝敗で同じだったが、直接対決でヘテが勝ち越したため、ヘテが準プレイオフの開幕権をもらった。シーズン終了後、韓国野球委員会はこの年の順位に関する臨時ルールを設け、この準プレイオフの結果で両チームのこの年の順位を定めるとした。したがって、最終的に準プレイオフの勝者のハンファが3位、敗者のヘテが4位になった。元のルール通りなら、どのチームも韓国シリーズに進出できなかったため、3位以下は韓国シリーズに進出した両チームを除く残りのチームを公式戦の勝率順に並べて決めるという条項によって、両チームは同率3位になるべきところだった。 ハンファはこれまでの韓国シリーズでヘテに3度挑んで全部失敗。成績も2勝4敗から1勝4敗、0勝4敗と対戦するたびに落ち、ヘテに対して苦手意識を持っていたが、今度の対戦では前にはなかった粘り強さを見せ、延長に持ち込まれた第1戦で宣銅烈に土を付け、敵地で貴重な1勝を挙げた。結局、第2戦も勝利を収め、ついにポスト・シーズンでヘテを下して、リベンジを果たした。
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準プレイオフ
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「1993年の韓国シリーズ」の記事における「準プレイオフ」の解説
韓国プロ野球史上初めて同じ本拠地を使用するチーム同士の対決として開かれたポストシーズンシリーズで、試合は連日観客が入りきれないほど大盛況だった。シーズン中盤の失速で公式戦では4位にまで落ちたLGツインズだったが、準プレイオフでは夏場に故障から復帰した金兌源(キム・テウォン)の力投でOBとの接戦を制した。
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準プレイオフ
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「2005年の韓国シリーズ」の記事における「準プレイオフ」の解説
この年は準プレーオフが5回戦制で実施された。興行面を考えてのものであったが、準プレーオフが長すぎるという意見が続出したため、2006年と2007年は3回戦制に戻っている。
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準プレイオフ
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「2008年の韓国シリーズ」の記事における「準プレイオフ」の解説
この年の準プレイオフはが8年ぶりに悲願のポスト・シーズンに進出したロッテ・ジャイアンツの闘いぶりが注目された。ロッテは夏場に一時Bクラス転落の危機に直面したこともあるが、オリンピック休みの後、シーズン序盤の勢いを回復。2位斗山ベアーズと1ゲーム差で3位でシーズンを終えたロッテが、シーズン最後まで4位争いをして辛うじてポスト・シーズン入りした三星ライオンズに有利という見解が支配的だった。準プレイオフを前にロッテのロイスター監督は公式戦と変わらない普段着の野球でポスト・シーズンに臨むと強調した。 しかし、いざ蓋を開けると、三星は12年連続ポスト・シーズン進出の貫禄を見せ付け、ロッテの本拠地である釜山の圧倒的な応援にも屈せず、敵地での2試合をものにした。結局、三星が3連勝でプレイオフ進出を決め、8年を待ったロッテの秋の野球祭りはたった3試合でその終焉を迎えた。ロッテは、レギュラー・シーズンでも弱点として指摘されてきた不安定なブルペン陣の問題が解決できていないまま、ポスト・シーズンに入った上に、頼みにしていた打線の方も公式戦で3割2分7厘、80打点でポスト・シーズン進出に貢献したキャプテンの趙晟桓(チョ・ソンファン)が準プレイオフで凡打や併殺でチャンスをことごとく潰すなど、試合を得意のパターンに持ち込めず、準プレイオフ敗退という結果に終わった。準プレイオフ終了後、普段どおりの野球を強調したロイスター監督の楽観主義的な采配にも疑問を示す声もあった。 MVP:陳甲龍(チン・カブヨン、捕手、三星) 12打数6安打、打率.500、0本塁打、4打点
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