民族形成期(1795年 - 1910年)
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「アフリカーナー」の記事における「民族形成期(1795年 - 1910年)」の解説
19世紀のアフリカーナーの歴史はアフリカに勢力を伸ばしたイギリスとの対立が主要な矛盾となった。フランス革命戦争中の1795年にオランダ領だったケープ植民地がイギリスに占領され、1799年12月31日にオランダ東インド会社がオランダ本国を占領したフランスによって解散させられると、ケープ植民地で農業に従事していた植民者たちは帰る故国を失ってしまった。また、イギリスによる占領以後、イギリスからの移民がアフリカ南部に流入し、とりわけ1820年にはイギリス政府からの補助金を得たイギリス人が多数入植した。更に、イギリスによるケープ領有後、イギリス国内のキリスト教人道主義者による奴隷制度廃止運動の成果もあって、イギリスは1828年に第50法令でブッシュマンを始めとするカラードに白人と対等の権利を与え、1833年には奴隷廃止法を可決し、1834年12月1日にケープ植民地内の奴隷は解放された。イギリス統治下で英語が公用語となると、アフリカーナーは英語に不得手だったためにイギリス当局から二級市民扱いされた。 イギリスによる奴隷解放によって無償の労働力を奪われたアフリカーナーは、イギリス支配を嫌って1830年代から1840年代にかけてグレート・トレックと呼ばれる沿岸部から内陸部への再入植を行ない、ンデベレ人やズールー人などのバントゥー系民族の諸王国と戦いながら再入植先でナタール共和国やトランスヴァール共和国(1852年建国)、オレンジ自由国(1854年建国)などのアフリカーナー共和国を建国した。1835年から1840年にかけてグレート・トレックに旅立ったアフリカーナー6,000人は主にケープ植民地の中でも貧しい階層に属する小農民であり、混血者の従僕約5,000人を伴った彼等は、少数ながらも1838年12月16日の血の川の戦いでズールー王国のディンガネ王を打ち破っている。オランダ語で「アフリカ人」を意味していた「アフリカーナー」と言う言葉は、18世紀には黒人奴隷を、19世紀前半にはイギリス人を含む白人一般を意味していたが、1870年代より進んだ『聖書』のアフリカーンス語訳を始めとして、文法書や雑誌などのアフリカーンス語の書物が出版されたことを経て、次第にケープ植民地に入植したアフリカーンス語を話す白人を指す言葉となっていった。また、ポール・クルーガーを始めとするアフリカーナーはこの19世紀後半の時期に、オランダ改革派神学者アブラハム・カイパーの新カルヴァン主義の「公共の恵み」説を発達させて、神の選民を自任し、奴隷制を神学的に肯定する理論を得た。 アフリカーナーが建国したトランスヴァール共和国とオレンジ自由国は二次にわたるボーア戦争でイギリスと交戦し、1880年から1881年にかけての第一次ボーア戦争ではイギリスを退けたが、1899年から1902年にかけての第二次ボーア戦争の敗北で両国ともイギリスの支配下に置かれた。第二次ボーア戦争の最中に、イギリスのホレイショ・ハーバート・キッチナー将軍はゲリラ戦術で抵抗するアフリカーナー12万人を強制収容所に送った。戦時中にイギリスが建設したアフリカーナー強制収容所は近代世界初の強制収容所であり、また、第二次ブール戦争で死亡したアフリカーナー34,000人の内、約65%が16歳以下の少年少女であった。『マンチェスター・ガーディアン』紙特派員として第二次ブール戦争の取材に当たったイギリスのジョン・アトキンソン・ホブソンはこの経験から『帝国主義論』(1902年)を著し、ウラジーミル・レーニンの『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917年)に理論的影響を与えた。このボーア戦争以後、アフリカーナーは反英感情を尖鋭化させていった。 南アフリカ共和国の白人(2009年の推計で国民の9.1%を占めている)は、イギリス系が19世紀末から現在に至るまで金とダイヤモンドの鉱山経営によって経済面で主導的立場を担ってきたのに対し、アフリカーナーは基本的に農民として暮らす人が多かった。ドリス・レッシングの『草は歌っている』にて用いられる「プア・ホワイト」という言葉の使われ方は興味深い。当時の南ローデシア(現ジンバブエ)では、どれほど貧しくてもイギリス人のことは「プア・ホワイト」とは呼ばず、この語はあくまでアフリカーナーを指したという。これは、同じヨーロッパ系植民者の間にも差別感情が根強くあったことを示している。
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