楠家(くすのきけ)
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楠一家の自宅。大きな木のある庭付きの一戸建。建物は2階建で、けっこう広い。居間は、以前はみつきがよく散らかしていたが、アキがよく来るようになってからはおおむねきれいになっている。母親の命日は2月14日で、この日は兄妹全員で墓参りをする。父親は、征四郎が生まれて間もなく離婚してしまった。一志の誕生日記念で、居間にクーラーが導入された。
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楠家
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楠 大貴(くすのき だいき) 演 - 沢村一樹(幼少期:草川拓弥) 航太郎と真知子の長男。大崎第一小学校1年1組担任。大雅とは対照的に、楠航太郎の息子としてではなく、地に足のついた仕事をしたくて、小さい時から公務員を志していた。女性に惚れっぽく、佳奈にアプローチをしていたが、自分が担任を受け持つクラスに転入してきた海の母親である詩織に一目惚れし、彼女との結婚を考えるあまり、妄想が先走りすぎていた。しかし、詩織に再婚の意思がなく、恋愛対象にされていないことを知り、自身の浮気以外の原因で初めて失恋する。傷心を癒すために、大雅と真知子が出演する旅番組「あなたと夢温泉」のロケに同行するも、立ち直るや否や女性たちに声をかけていた。その後、大雅が詩織を好きだと知り、潔く身を引くが、大雅と詩織の仲にやきもきする。 山本 とし子(やまもと としこ) 演 - 猫田直 楠家の家政婦。 楠 航太郎(くすのき こうたろう) 演 - 伊東四朗(特別出演) 大雅と大貴の父親。日本を代表する名俳優で「江戸に咲く風の銀次郎」シリーズなどの代表作がある。捻挫で入院していたが、クモ膜下出血で亡くなる。6年前、「江戸に咲く風の銀次郎」のロケ見学中に産気づいて倒れた詩織を病院に運んだ。その後、青木と見舞いに訪れた際、詩織から頼まれて、生まれてきた子に海と命名する。 楠 真知子(くすのき まちこ) 演 - 松坂慶子 大雅と大貴の母親。姫島真知子の芸名で「お嫁さんにしたい女優No.1」だったが、20歳で結婚して家庭に入るも、一人では家事全般を何もできず、経済観念もない。少し天然な所もある。航太郎が生前詩織と文通を続けていることを気にかけていたが、青木から真相を聞き、胸を撫で下ろす。
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楠家
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「伊勢諏訪氏」および「伊勢楠木氏」も参照 三重郡楠(くす、現在の三重県四日市市楠町)にあった楠(くす)城あるいは楠山(くすやま)城の城主だったのが楠氏である。伊勢国では国司の北畠氏と室町幕府の対立があり、多くの国人が離合集散や対立抗争を繰り返して北勢四十八家の支配体制が成立して、延文3年(1358年)に中世タイプの城の楠城が築かれた。楠城城主の家系は北畠氏の被官として、正平24年(1369年)10月から天正12年5月7日(1586年6月14日)まで200年以上続いた。 なお、楠城の「楠」氏はクス氏とクスノキ氏の二系統があり、どちらも楠という字を使う上に、クス氏初代の貞信が楠木正成の落胤という後世の伝説があり、両氏で養子縁組を結んでおり、さらに入れ替わりで楠城城主となったなど、非常に紛らわしい。最初に城主となったのが俗に楠(くす)氏と呼ばれる伊勢諏訪氏(後に伊勢中島氏)で、その後任で城主となったのが俗に楠(くすのき)氏と書かれる伊勢楠木氏だが、クス氏とクスノキ氏は全く別の氏族である。詳細はそれぞれ伊勢諏訪氏と伊勢楠木氏を参照のこと。 以下、楠城城主の一覧は、特に注記がない限り『楠町史』(新編ではない方の楠町史)に基づく。年月日は生没年ではなく、城主を務めた期間である。 クス氏…伊勢諏訪氏(伊勢中島氏):初代 諏訪貞信(俗に楠十郎。正平24年(1369年)10月 – 応永3年(1396年)2月24日):伊勢諏訪氏初代当主。北畠顕能の重臣。配下は総勢300騎。 第2代 諏訪貞益(後に中島貞益。応永3年(1396年)2月24日 – 応永6年(1399年)):第2代当主。貞信の子。応永の乱後、北朝に寝返って京都に出奔したため、城主を交代させられる。 第3代 中島貞則(応永6年(1399年) – 応永19年(1412年)9月):第3代当主。貞信の子で貞益の弟。兄同様京都に出奔したため、北畠満雅により除封。 クスノキ氏…伊勢楠木氏(伊勢川俣氏):第4代 楠木正威(応永19年(1412年)9月 - 嘉吉3年9月25日(1443年10月18日) ):伊勢楠木氏初代当主である楠木正顯の三男。中島貞則の養子。禁闕の変で討死。城代 楠木正顯(応永19年(1412年)9月 – 応永31年(1424年)1月):伊勢楠木氏初代当主。楠木正成の曾孫で正威の父。正威が幼少の間、城代を務めた。 城代 楠木正重(後に川俣正重、刀工としては二代千子正重。嘉吉3年9月25日(1443年10月18日) – 文明18年(1486年)10月18日):伊勢楠木氏第3代当主。正顯の長男である伊勢楠木氏2代当主楠木正重(初代千子正重)の長男。刀工村正の弟子。正威の家系が安定するまでの城代を命じられる。子で第4代当主である三代千子正重も城代になった時期があると言われる。 第5代 川俣正充(文明18年(1486年)10月18日 – 天文2年(1532年)8月22日):伊勢楠木氏第5代当主。正威の孫で、第4代当主三代千子正重の養子。正充以降、伊勢楠木氏当主の代数と楠城城主の代数が一致する。 第6代 川俣正忠(後に楠木正忠。別名を楠木貞孝。天文2年(1532年)8月22日 – 元亀2年(1571年)):伊勢楠木氏第6代当主。正充の子。楠木正虎の活躍で楠木復姓の勅免を得る。織田信長の意向で死没前に隠居させられる。 第7代 楠木正具(元亀2年(1571年) – 天正4年(1576年)5月7日):伊勢楠木氏第7代当主。正忠の子。永禄12年(1569年)に伊勢を出て石山本願寺顕如配下となっており、本人が当主在任中に楠城にいた時期はない。天王寺の戦いで信長の軍と戦い討死。 第8代 楠木盛信(天正4年(1576年)5月7日 – 天正12年5月7日(1586年6月14日)):伊勢楠木氏第8代当主。正具の孫で養子。小牧・長久手の戦い加賀野井城戦で討死。北勢四十八家楠氏は絶家。
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楠家
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楠 千絵子 演 - 茅島成美 五つ子や樹里や大輝の母方の祖母で桃子、小百合の母。桃子に似て口うるさいところもあるが、五つ子や娘の幸せを願ってやまない。散らし寿司が得意で、よく桃子の家に届けに行く。介護ボランティアを始める。その後、五つ子がそれぞれ頑張っている姿を見て、小料理「だんらん」を営み始める。 楠 健一 演 - 天田俊明 ※2以降は遺影及び回想シーン等での出演、6の最終回では回想でないシーンで千絵子と共演。 五つ子の祖父で桃子、小百合の父。パート1で病死してしまう。
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