楠妣庵観音寺 - 大阪府富田林市甘南備
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臨済宗妙心寺派の寺院で、楠木家の香華寺とされる。楠公史跡河南八勝第二蹟、河内西国霊場第20番札所。正平3年/貞和4年(1348年)に楠木正行・正時が四條畷の戦いで戦死した後、正成の妻で正行・正時の母の久子が、草庵を建立。敗鏡尼と称して入寂するまでの16年間、この草庵楠妣庵に隠棲し、楠木一族郎党の菩提を弔った。敗鏡尼の入寂後、楠木正儀は観音殿を観音寺と改め、不二房行者(授翁宗弼)を住まわせた。観音寺は楠妣庵とともに、兵火による度重なる衰退を繰り返し、更に廃仏毀釈により廃寺となった。1917年(大正6年)に草庵楠妣庵が復元再建、同11年(1922年)に観音寺本堂が再建された。
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