格闘技の聖地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:25 UTC 版)
後楽園ホールは、ボクシングやプロレス、キックボクシングなどの格闘技の興行で頻繁に使用されることから、「格闘技の聖地」「格闘技のメッカ」などと呼ばれ、眼の肥えた格闘技ファンが足繁く通うことで知られる。2013年1月期のイベント総開催数は371回で、その内格闘技関連のイベント開催数は329回に及ぶ。自前でリングの手配・設営が必要な他会場と異なり後楽園ホールではリングそのものを所有し案内係もホール側が手配し、設営を含めたパッケージ料金で会場提供を行っている。 特に日本で行われるプロボクシングの試合は、4回戦から世界戦まで多くを行われ、一年のうち全国で行われる試合数の半分が後楽園ホールで行われているという。全盛期には休日に一日で昼と夜の二回興行が行われることも多かった。世界戦は基本的に収容人数5000 - 1万人程度の大会場(都内では両国国技館、有明コロシアム、大田区総合体育館など)を使用するが、中規模の後楽園ホールでも初の世界戦として1970年8月23日のWBA世界ジュニアライト級王者小林弘の5度目の防衛戦となるアントニオ・アマヤ戦が決行されて以来、2012年3月まで55試合開かれている。女子の世界戦は大半が後楽園ホール開催となる。全日本新人王決定戦(東日本新人王決定戦も)なども毎年開催されている。日本プロボクシングにおける重要な会場としているため、引退セレモニーはタイトル獲得者あるいは功労者と認められた選手のみと規定されている。試合ではないが、モハメド・アリやマイク・タイソンの公開スパーリングにも使用された。『あしたのジョー』や『はじめの一歩』など漫画作品の作中にも数多く登場している。 格闘技興行の際に設置されるリングは、日本各地で行われるプロボクシング興行のリングの基準となっている。また、JBC事務所(2014年5月移転)が後楽園ホールビル6階に構えているのに加え日本プロボクシング協会、東日本ボクシング協会などプロボクシング主要組織の事務所が隣接する黄色いビルに入居しているため、グローブの管理、保管もしており、関東周辺で行われる興行には、ここからグローブが貸し出され、プロテストも同ホールで実施されている(プロテストは大抵興行開場前に行われ、藤本京太郎、井上尚弥、村田諒太、藤岡奈穂子のように興行内にて公開プロテストとして行う場合もある)。 アマチュアボクシングでも、関東大学ボクシングリーグ戦1部・2部の会場とされている他、過去には全日本大学ボクシング王座決定戦や全日本社会人ボクシング選手権大会も開催され、2010年4月には全国国公立大学ボクシング大会が初めて開催された。 1962年10月29日、ボクシング以外の格闘技興行として全日本空手競技連盟(日本拳法空手道)主催「第一回拳法空手競技大会」が開催された。 初めて開かれたプロレス興行は1966年11月25日の日本プロレスで、メインイベントはジャイアント馬場VSルイス・ヘルナンデスの3本勝負であった。プロレス興行は長年日本プロレスが独占的に使用していたが(国際プロレスと新日本プロレスは、日本プロレスによる妨害工作で日本プロレス崩壊まで使用できなかった)、1972年11月6日に全日本プロレスが日本プロレス以外のプロレス団体では初めて後楽園ホールで興行を行った(メインは馬場VSダッチ・サベージの3本勝負)。馬場はバーン・ガニア、ハーリー・レイスとの3000試合連続出場記念試合、デビュー30周年記念試合、還暦記念試合を全て後楽園ホールで開催している。日本プロレス崩壊後は各団体が進出するようになり、1973年5月28日には全日本女子プロレス(メインは赤城マリ子&ジャンボ宮本VSパナマ・フランコ&サンディ・パーカーのWWWA世界タッグ選手権試合)、同年7月6日には新日本プロレス(メインは坂口征二VSジョン・L・サリバン)、同年9月26日には国際プロレス(メインはラッシャー木村&グレート草津VSブラックジャック・マリガン&デール・ルイス)がそれぞれ初進出した。1976年12月3日に開催された国際プロレスのラッシャー木村VSジプシー・ジョーのIWA世界ヘビー級選手権は、後楽園ホール初の金網デスマッチとなった。国際プロレスは後楽園ホールを都内のビッグマッチ会場とした他、その後も金網デスマッチを行っている。国内の主要プロレス団体は定期的に興行を組み、年間スケジュールの軸をなしている。一方でインディ団体はビッグマッチでの使用となるため、後楽園での興行を成功させることが団体としてひとつのステータスとなる。 1968年9月15日、初のキックボクシング興行として協同プロモーションの旗揚げ興行「タイ式ボクシング無料公開試合」を開催し、メインイベントは嵐五郎(現:盧山初雄)VSクンスク・カチャーピット戦だった。1969年1月4日、野口プロモーションも進出し、沢村忠の後楽園ホール初試合となった。 2013年6月15日、後楽園ホール初のケージMMAとして「DEEP CAGE IMPACT 2013 in KORAKUEN HALL」が開催された。 格闘技等を行う会場としては珍しく、飲食物の持ち込みが可能であり、場内でも飲食物が販売されている。 ファンが1階までの非常階段の壁に選手に対しての応援や非難の落書きを無数に書いている(右の写真参照)。これは消すのが追いつかないだけであり、許可されていることではない。 なお、使われているパイプ椅子は、場外乱闘等で破壊した場合、一脚5000円(税抜)で弁償となる。大日本プロレスの興行では、1回の興行だけで20脚前後を破壊したことがあり、大日本の中継番組「大日大戦」では毎回、実況を務める登坂栄児社長と解説の須山浩継によってネタにされている(弁償は主催団体の負担になるため)。 2012年の「ボクシングの日」には、袴田事件で無実を訴えている袴田巌に対する速やかな再審開始と釈放を求め、「袴田シート」2席がリングサイドに設置された。そして2014年のボクシングの日に袴田本人が招待された。 開場から60周年を迎えた2022年4月15日・16日には史上初の後楽園ホール主催興行として「後楽園ホール還暦祭」を開催した。
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