棚橋弘至について
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地方に遠征してまで観戦するほどプロレス熱が高い内藤だが、格闘技の聖地と言われる後楽園ホールでの観戦は意外にも遅く、1999年10月10日。それまでビッグマッチしか行ったことがなく、若手の試合を見るのが初めてだった内藤は、そこで棚橋弘至のデビュー戦を目の当たりにする。それまで武藤ファンであった内藤は棚橋のデビュー戦を見て感銘を受け、棚橋がデビューした翌2000年は武藤がアメリカ長期遠征へ出てしまったこともあり、内藤はその年以後棚橋を楽しみに観戦するようになり始め大ファンとなった。2002年に内藤が右膝前十字靭帯断裂の怪我を負って気持ちが沈んでいた頃、2003年4月23日に広島サンプラザホールにて開催されたU-30初代王者決定リーグ戦の決勝戦、棚橋 vs 真壁伸也戦を生観戦し、その際に「プロレスに勇気をもらう」「元気をもらう」ということを初めて感じた日だと述べている。 内藤がプロレスラーとしてデビューして間もなくの頃、棚橋から「早く俺のとこまでこいよ」と言われたこともあり、内藤自身もかつてファンだった武藤が全日本に移籍して何を楽しみに新日本を見に行っていいか分からないときに、棚橋がいたからこそプロレス熱が冷めることなくずっと来れたから、棚橋をトップの座から引きずりおろす役目は自分が担いたいと語っている。2017年1月4日、レッスルキングダム11にて棚橋との一騎打ちを制し、試合でも棚橋を上回る声援が送られ、世代交代を印象付けた内藤は試合後、リング上で大の字に横たわる棚橋の胸に拳を突き立てた後に深々と一礼。さらにバックステージでのコメントではかつて見上げる存在だった棚橋に対して「早く俺のところまで戻ってこいよ」と、メッセージを送っている。
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