棚橋小虎日記
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棚橋小虎は松本中学校在学中の1902年1月1日から日記を書き始め、死去の前日まで書き進められた。この日記は、他の棚橋小虎関係文書と共に遺族によって法政大学大原社会問題研究所に寄贈された。棚橋小虎関係文書は日記69冊をはじめとして、467通もの書簡や46葉もの写真、『自伝』の自筆原稿などで構成されており、「戦中から戦後にかけての庶民の記録としても、社会運動家の記録としても稀有であり、極めて興味深い歴史資料」とされている。伊藤隆は日記を「社会運動研究のこの上ない貴重な記録」として重要視し、日記の複写物を所有していたが、2008年に国立国会図書館憲政資料室に移管された。棚橋小虎日記の内容は詳細を極めており、几帳面に天候や祝祭日などが書かれ、更に人名もフルネームで表記されていることが多い一方で、自らの直截的な心情や女性関係も赤裸々に記載されている。また、政治活動とは関係のない生活や食事の様相などの記述も多く棚橋日記の特徴とされている。これら棚橋日記は長井純市が担当する法政大学日本近代史演習の受講生によって翻刻及び内容調査が行われている。尚、翻刻の成果は、2009年に『棚橋小虎日記(昭和二十年)』として、2011年に『棚橋小虎日記(昭和十七年)』として、2014年に『棚橋小虎日記(昭和十八年)』としてそれぞれ法政大学大原社会問題研究所のワーキング・ペーパーとして刊行され、翻刻作業は続いている。
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