本嘉納家とは? わかりやすく解説

本嘉納家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:20 UTC 版)

嘉納財閥」の記事における「本嘉納家」の解説

本嘉納家が酒造業始めたのは、1660年万治元年)のことである。それよりも前に摂津国伊丹鴻池現在の兵庫県伊丹市鴻池)で酒造り始め、大醸造元になっていたのが、後に日本一富豪になる鴻池家だった。鴻池家酒造り始めたのが、1600年慶長5年というから、灘・本嘉納より半世紀以上も先行していた。 鴻池に遅れること60年上灘郷・御影村酒造り始めたときの本嘉納屋号は「材木屋」で、本業材木商だった。酒の伝統的な醸造法年に一度寒仕込みだったから、全国各地に残る醸造元も、庄屋富農綱元などが行っていた冬場副業始まりということ少なくない。本嘉納も、100年余り副業として酒造り続けた副業とはいえ灘の酒造家は隣の本場伊丹競争相手とみなし、工夫改良重ねて量産化にも成功し、それらに匹敵する生産地へと成長していく。本嘉納明和安永年間には酒造り専業になり、屋号を「嘉納屋」に変えた。その30年ほど前の1743年寛保3年)、本嘉納分家白嘉納が「白鶴」の醸造始めた。この江戸中期には、灘五郷酒造り伊丹追い抜き江戸運ばれる酒の半分は「灘の生一本」が占めるようになる武庫川から生田川にかけての大阪湾地域灘五郷だけに、海上・河川交通発達大きな味方をした。 灘五郷最大の酒の生産地になる決定打江戸末期1840年)の「宮水」の発見であった酒造りの三要素は、米と杜氏の技といわれる適度な硬度があり、鉄分含まないこの地下水によって、夏を越しても味が落ちない良質の酒を量産できるようになり、「灘」や「灘の生一本」が良質の酒の代名詞になるほど市場制覇していく。宮水は「霊水」とも呼ばれるこのような灘の歴史は、「灘五郷仲間」をつくり、分家白嘉納とともに仲間組合)の中心勢力になっていた本嘉納歴史そのものであった1882年明治15年)、商標令が公布されると本嘉納はすぐに「菊正宗」を登録、辛口の酒として宣伝し大い売り込むとともにいちはやく個人商店会社組織改めた社名本嘉納商店)。本嘉納当主代々、治郎右衛門襲名し初代材木屋治郎右衛門)、すでに八代嘉納治郎右衛門時代になっていた。この八代目は、酒造業だけでなく、現在は受験進学校として知られる灘校前身灘中学校創立兵庫運河建設工事にも力を注いだが、男子恵まれず二代つづいて婿養子をとった。この婿取り養子縁組によって本嘉納は、鴻池家とも縁続きになる。本嘉納八代の娘の婿養子になったのは、岡山元貴院議員で山陽銀行(後中国銀行頭取務めた土居通博二男文治1935年昭和10年)に九代襲名し以降25年社長務め戦災により壊滅的な打撃をうけた神戸復興に力を尽くし酒造業近代化進めた。元南海放送会長山中義貞とは義理の兄弟である。この九代男子恵まれず、4人娘のうち3人にそれぞれ婿養子取り嘉納を名乗らせ、それぞれに分家名を与えた長女久子婿養子になった嘉納毅六は、襲名など前近代的考えたか、自身襲名はせず社名本嘉納商店から菊正宗酒造変えた。そして養父同じく25年社長務めた後、昭和60年に本嘉納にとり久しぶり恵まれた男子の毅人に社長の座を譲り会長になった平成29年には、毅人の長男である逸人が「伝統重視する考えを自ら体現したい」として、2代途切れていた治郎右衛門襲名して、第十二代嘉納治郎右衛門となり社長に就任した。 本嘉納輸出にも力を注ぐ伝統もあり、その始まり八代が手がけた明治10年イギリスへ輸出であった。それを十代当主となった毅六が受け継ぎ世界十ヵ国に販売網広げ1970年昭和45年)には業界初輸出貢献企業として表彰された。この嘉納毅六は、1914年大正3年1月、元ヤマサ醤油社長濱口梧洞の六男として生まれた。毅六の長兄十一代濱口儀兵衛娶ったのは、元東邦生命社長五代目太田清蔵の妹で、この六代目太田清蔵新太郎)の姉、つまり毅六の姪が嫁いでいるのが、一三鴻池善右衛門である。

※この「本嘉納家」の解説は、「嘉納財閥」の解説の一部です。
「本嘉納家」を含む「嘉納財閥」の記事については、「嘉納財閥」の概要を参照ください。

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