本因坊対呉清源三番碁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/17 14:56 UTC 版)
「第15期本因坊戦」の記事における「本因坊対呉清源三番碁」の解説
恒例の本因坊対呉清源三番碁の第7次は、1960年12月から1961年2月にかけて行われ、高川の1勝2敗に終わった。
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本因坊対呉清源三番碁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/11 14:16 UTC 版)
「第13期本因坊戦」の記事における「本因坊対呉清源三番碁」の解説
恒例の本因坊対呉清源三番碁の前に、挑戦権を争った坂田栄男と杉内雅男との対局が行われ、呉の2勝となった。 高川と呉の三番碁は、1958年12月17-18日に第1局が行われ、高川が白番中押勝ち。続く翌1959年の第2、3局目も高川が勝って、3連勝。前回の第3局で11連敗後の初の1勝をあげたのに続いて、捲土重来となった。この第2局の244手で終局した場面で、「手入れ」の問題が生じた。終局図から中央の白地には、黒aから黒g、白hまで本コウになる手段が残っている。日本棋院の囲碁規約では、白がコウ材有利であっても、本コウが残っている場合は、手入れが必要となっているが、呉は日本棋院の棋士でなく、またコウ材が白有利であるため、手入れ不要と主張した。この場合、手入れをすれば黒半目勝ち、手入れなしなら白半目勝ちとなる。 双方で2時間ほど話し合ったが決着がつかず、立会人の長谷川章七段が、黒半目勝ちと判定した。後日、呉、日本棋院、毎日新聞の三者で話し合い、日本棋院は規約の不備の見直しをすることとし、呉も今後は日本棋院の棋士との対戦では規約に従って打つこととした。その後これがきっかけで、1964年に囲碁規約改正委員会が作られた。
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