灘中学校
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灘中学校
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灘中学校をつくったのは、本嘉納と白嘉納の両家に、やはり灘の「櫻正宗」の山邑酒造を加えた三家である。1927年(昭和2年)に灘育英会資金20万円を作り、灘中学校として発足させた。基金は三家で用意したが、学校全般の基礎づくりをしたのは、本嘉納の一族、講道館創設者の嘉納治五郎であった。治五郎は、古来より伝えられた柔術に改良と創意を加え、講道館柔道を完成させた。治五郎は、日本体育協会創設者で初代会長となった。また、東洋初のIOC委員でもあり「日本の体育の父」とも呼ばれる。講道館三代目館長で治五郎の二男嘉納履正が、柔道の国際化を推し進め、早くから五輪参加を呼びかけていた。それが実現したのが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックだった。
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