嘉納治郎右衛門 (八代目)とは? わかりやすく解説

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嘉納治郎右衛門 (八代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/25 19:18 UTC 版)

合名会社本嘉納商店 嘉納治郎衛門 20世紀初頭

八代目嘉納治郎右衛門(はちだいめかのうじろうえもん、(嘉永6年7月3日1853年8月7日) - 昭和10年(1935年3月19日)は、日本実業家嘉納財閥・本嘉納家8代目当主。本嘉納商店社長。

人物

嘉永6年(1853年)摂津国御影(現兵庫県神戸市東灘区御影町)に生まれる。号は秋香・玉泉。明治15年(1882年)家督を相続し、家業の醸造業に従事。この年商標令が発布され、従来の銘柄「本稀」を「菊正宗」と改名、登録した。醸造の改善に苦心し、杉桶の改良を志して銅タンクの使用を発明。明治40年(1907年)本嘉納商店を合資会社とし、大正8年(1919年)株式会社に改組。大正15年(1926年)別に本嘉納合名会社を設立、土地、建物、有価証券などの投資事業をも行った。また灘商業銀行(のちに神戸銀行)を創立し頭取に就任、日本醸造酒会監事、武庫汽船取締役、日本相互貯蓄銀行相談役などを歴任した。また酒造業だけでなく灘中学校の創立にも力を注いだ。

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