木村芥舟とは? わかりやすく解説

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木村芥舟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 05:48 UTC 版)

木村 芥舟(きむら かいしゅう、文政13年2月5日1830年2月27日) - 明治34年(1901年12月9日)は、江戸幕府末期(幕末)の旗本幕臣)。位階は正五位喜毅(よしたけ)。


注釈

  1. ^ ブルックらが帰国のために咸臨丸に便乗したというのは誤りである。
  2. ^ 当初、留学先にはアメリカを予定していたが南北戦争勃発により果たせなかった。
  3. ^ この構想は明治に入ってから連合艦隊として結実する。
  4. ^ このことについては商法講習所(一橋大学の前身)講師であったウィリアム・コグスウェル・ホイットニーの娘で勝と親交のあったクララの日記からも窺える。

出典

  1. ^ 藤井哲博『咸臨丸航海長 小野友五郎の生涯 幕末明治のテクノクラート』中央公論社〈中公新書〉、1985年10月。ISBN 4-12-100782-4 
  2. ^ 山岡鉄舟口述 著、勝部真長 編『山岡鉄舟の武士道』角川書店〈角川文庫 角川ソフィア文庫〉、1999年9月、268頁。ISBN 4-04-348501-8 
  3. ^ 明治34年12月 「木村芥舟特旨ヲ以テ位記ヲ賜フノ件」
  4. ^ 官報 第5536号 明治34年12月14日 「叙任及辞令」
  5. ^ 石井耕「日本の人事政策の起源 : 江戸幕府後期御家人の人材登用と昇進」『北海学園大学学園論集』第156巻、北海学園大学学術研究会、2013年6月、1-27頁、CRID 1050845762453380352ISSN 0385-7271 
  6. ^ 明治27年(1894年)10月5日付けの木村浩吉宛書簡は以下のとおりである。該当する箇所に下線を付して示す。
     御軍役御苦勞千萬と存候。過日海洋島の激戰は別しての御事に御座候。新聞紙にて承知、御留主宅へも御書状により御隱居樣より拜承仕候。尚此上とも勇を鼓して御奮戰を祈るのみ。我邦榮辱の分るゝ所、拔群の御働呉々も奉待候。將又御留主宅の義は及ばずながら御心添仕る積り、萬々一御討死も相成候はゞ、御兩親樣の處は老生の生涯中屹度御引受申上、御不自由なき樣可致兼て覺悟に付、其邊御心安く思召被下度候。小包郵便にてつくだにと甘名納少々差上候。御笑留被下候はゞ本懷の至りに奉存候。右御尋問まで申上候。餘は凱戰萬歳の時を期し候。匆々頓首。 — 福澤諭吉、『福澤諭吉全集』第18巻617頁


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