肥田浜五郎とは? わかりやすく解説

肥田浜五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 03:47 UTC 版)

肥田 浜五郎(ひだ はまごろう、文政13年1月28日1830年2月21日[2] - 明治22年(1889年4月28日[3])は、豆州肥田氏の末裔で幕末期の幕臣技術者、明治期の官僚長崎海軍伝習所第二期生。は為良(ためよし)。


  1. ^ Hida Hamagoroオランダ国立図書館
  2. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ^ a b c d e f g 『官報』第1747号、「彙報 - 故肥田宮内省御料局長官履歴」1889年4月30日。
  4. ^ 『回想の日本海軍』p248
  5. ^ 金澤裕之「終章 幕末から近代、現代へ―1968年…:1 徳川家海軍から日本海軍への移行:幻の静岡藩海軍」『幕府海軍:ペリー来航から五稜郭まで』(ebookjapan版)中央公論新社〈中公新書〉、2024年。 
  6. ^ 箱根離宮と恩賜箱根公園神奈川県県西土木事務所小田原土木センター
  7. ^ 箱根離宮『明治工業史 〔第5〕』日本工学会、1927年、p
  8. ^ 『回想の日本海軍』p245、p251
  9. ^ 肥田浜五郎『国民過去帳 明治之巻』大植四郎 尚古房 1935年
  10. ^ 停車時間に余裕のある静岡停車場で用便を済まそうとしていたが、生憎便所が満員でやむなく藤枝停車場になってしまった。列車が進みはじめたのでいそいで飛び乗ろうとした途端に下に落ちた。客車2両まではよけられたが3両目のときに外套の裾が何かに搦みつきレールのところに引き込まれ肩から轢かれてしまった。列車は直ちに停車したが手の施しようがなかった。「肥田御料局長没す 汽車に便所なき犠牲」明治22年4月29日付時事新報『新聞集成明治編年史 7』263頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
  12. ^ 『官報』第1430号「彙報」1888年4月10日。
  13. ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
  14. ^ a b 江川坦庵の侍医肥田春安土屋重朗、日本医史学雑誌 = Journal of the Japanese Society for the History of Medicine 19(4)(1394)
  15. ^ 倉成竜渚(読み)くらなり りょうしょコトバンク
  16. ^ 竹村茂雄(読み)たけむら・しげおコトバンク
  17. ^ 肥田籌一郎」(内尾直二編輯 『第十二版 人事興信録 下』 人事興信所、1939年10月)。土屋、281頁。
  18. ^ 肥田浜五郎『幕末軍艦咸臨丸』文倉平次郎 巌松堂 1938
  19. ^ 渡辺嘉一『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
  20. ^ 肥田籌一郎『人事興信録』6版、1921年


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