咸臨丸太平洋横断の手助け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/17 09:00 UTC 版)
「フェニモア・クーパー (スクーナー)」の記事における「咸臨丸太平洋横断の手助け」の解説
ブルック大尉およびフェニモア・クーパーの乗組員は、横浜に滞在していた。ちょうどその時期、幕府は米国への外交使節団と、その護衛として咸臨丸による太平洋横断を予定していた。咸臨丸の司令官である軍艦奉行木村芥舟は、咸臨丸の日本人乗員の能力を不安視しており、米国海軍の軍人の同乗を求めた。使節団を運ぶポーハタンの司令官であるジョサイア・タットノールはブルックを推薦した。ブルックらは技術アドバイザーとして咸臨丸に乗船したが、途中嵐に遭遇したこともあり、米国人乗員を中心として咸臨丸は太平洋を横断した。
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