咸臨丸の実情とは? わかりやすく解説

咸臨丸の実情

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:10 UTC 版)

勝海舟」の記事における「咸臨丸の実情」の解説

和船出身水夫60人。士分にはベッド与えられていたが水夫大部屋雑魚寝着物布団ずぶ濡れになり、航海晴れた日はわずかで乾かす間もなかった。そのため艦内伝染病流行し常時14、5人の病人出た(今でいう悪性のインフルエンザか)。サンフランシスコ到着後には3人が死亡現地埋葬された。ほかにも7人が帰り出港まで完治せず、現地病院置き去りにせざるを得なかった。病身の7人だけを残すのが忍びなかったのか、水夫兄貴分だった吉松惣八という2名が自ら看病のため居残り申し出た。計9人の世話を艦長の海舟は現地貿易商チャールズ・ウォルコット・ブルックスに託し充分な金も置いていった。ブルックス初代駐日公使ハリス友人で、親日家だった。

※この「咸臨丸の実情」の解説は、「勝海舟」の解説の一部です。
「咸臨丸の実情」を含む「勝海舟」の記事については、「勝海舟」の概要を参照ください。

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