木村若友
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 06:21 UTC 版)
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本名 |
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生年月日 | 1911年4月17日 |
没年月日 | 2011年11月30日(100歳没) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 初代木村友衛 |
活動期間 | 1936年 - 2011年 |
受賞歴 | |
吉川英治文化賞(2011年) | |
木村 若友(きむら わかとも、1911年4月17日 - 2011年11月30日)は、日本の浪曲師。本名:大森 政貫。
経歴
福島県二本松市出身。1936年、初代木村友衛に入門し、翌年初舞台を踏む。
長らく浪曲界の第一線で活躍し、晩年まで東京浅草の木馬亭に出演した。
2011年4月、浪曲師としての長年の活躍と後進の指導を通じ日本伝統文化の継承に尽力したとして第45回吉川英治文化賞を受賞[1]。同年5月、国立演芸場で開かれることになっていた「百歳を祝う会」への出演の直前に楽屋で倒れ、快復に努めたが、11月30日、動脈瘤破裂のため死去[2]。100歳没。
若友の孫にあたる料理人の男性が東京都台東区の佐竹商店街でラーメン店「とりそば若松」を経営[3]。浪曲関係者にも親しまれていたが[4]、物件のオーナー変更により2025年4月末で閉店した[5]。
主な演目
- 塩原多助
- 柳生親合試合
脚注
- ^ 吉川英治賞(講談社、2011年12月6日閲覧)
- ^ “現役最高齢100歳 浪曲師の木村若友さん死去”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2011年12月6日) 2017年5月25日閲覧。
- ^ 玉川太福(@ tamagawadaifuku ) (2025年4月24日). “100歳で現役だった、伝説の浪曲師・木村若友師匠のお孫さんのお店、新御徒町の「とりそば 若松」”. Instagram. 2025年5月1日閲覧。
- ^ 玉川奈々福 (@nanafuku55) (2023年7月19日). “三波春夫先生、ご生誕百年を、100歳まで現役で活躍され、2011年に亡くなられた木村若友師匠のお孫さんのお店、佐竹商店街の「若松」にて、祝いました。”. 2025年5月1日閲覧。
- ^ “【台東区】新御徒町駅至近・佐竹商店街の「とりそば若松」が4月末で閉店だそうです…”. 台東区. 号外net (2025年4月21日). 2025年4月28日閲覧。
外部リンク
- (一社)日本浪曲協会公式サイト - ウェイバックマシン(2014年1月2日アーカイブ分)
- 木村若友のページへのリンク