撮影技師から監督への転身とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 撮影技師から監督への転身の意味・解説 

撮影技師から監督への転身

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:45 UTC 版)

下村健二」の記事における「撮影技師から監督への転身」の解説

1902年明治35年9月20日京都府加佐郡河守町現在の同府福知山市大江町河守)に生まれる。 当初作家志望であったが、満19歳迎え1921年大正10年)に帝国キネマ演芸入社大阪小坂撮影所技術部配属される。翌1922年大正11年10月20日公開された『良弁杉』(監督中川紫朗)では、同作撮影技師大森勝(1897年 - 1991年)のチーフ助手としてクレジットされているが、同作下村関わった作品のうち現存する最古作品である。1924年大正13年6月26日公開された『天王寺切腹』(監督中川紫朗)で撮影技師昇進する1925年大正14年)の同社内での内紛では、石井サイドにおり、芦屋撮影所独立させたアシヤ映画製作所で製作に携わる内紛決着後は芦屋撮影所復帰するが、翌1926年大正15年)には東亜キネマ移籍等持院撮影所一足先に移籍していた長尾史録と再びタッグ組み引き続き撮影技師務める。 1927年昭和2年)には市川右太衛門設立した市川右太衛門プロダクション移籍奈良あやめ池撮影所では撮影技師メインにしていたが、脚本部に所属したという。翌1928年昭和3年)には奈良中川映画製作所根拠地として谷崎十郎設立した谷崎十郎プロダクション(のちのヤマト映画製作所あるいは関西映画社、代表・川西康雄)に移籍技術部監督部に籍を置き、同年3月17日公開され谷崎十郎主演作漂泊剣士』に自らのオリジナルシナリオ監督としてデビューした当時は、あやめ池に近い奈良市奥芝町に居を構えていた。『日本映画俳優名鑑 昭和年版によれば当時青年期下村身長は5尺2寸(約158センチメートル)、体重14貫(52.5 キログラム)、趣味文学と音楽だったという。1929年昭和4年)には牧野省三存命中のマキノ・プロダクション傘下勝見庸太郎プロダクション移籍牧野省三没後1930年昭和5年)にはマキノプロダクション御室撮影所いずれも撮影技師務めている。1931年昭和6年)には、小説『伝五左といふ男』を執筆して第9回サンデー毎日大衆文芸応募し佳作残った同年後半には、同社から独立して奈良撮影所築いた月形龍之介同行月形プロダクション第二次)の第1作舶来文明街』(監督冬島泰三)の撮影技師務め同作同年11月1日公開されて、同年度のキネマ旬報ベストテン第5位を受賞した同社第2作待たずに、川西康雄の関西映画社が製作した北満血戦』で3年ぶりに監督業復帰した同作同年12月24日公開されたが、翌1932年昭和7年)には市川右太衛門プロダクション復帰し1934年昭和9年2月8日公開された『仇討土人形』(監督古野英治)までは、みたび撮影技師戻った同年2月1日公開され実川主演同社第二部作品大久保彦左衛門』で監督返り咲いたが、同年同社退社した1935年昭和10年2月設立され極東映画移籍当時同社御室撮影所を仮撮影所にしていたが、同年4月29日兵庫県西宮市甲陽園甲陽撮影所移転し監督業専念する。翌1936年昭和11年)、撮影所甲陽園から大阪府南河内郡古市町白鳥園(現在の羽曳野市翠鳥園)へと移転したとき、俳優羅門光三郎市川寿三郎綾小路絃三郎ら、監督園池成男こと古海卓二、児井秀男(のちの児井英生とともに甲陽園残留甲陽映画設立した甲陽映画ではひきつづき監督業専念することができたが、同社の製作物配給行っていた千鳥興行同年秋に資金ショート起こし千鳥興行同様に配給興行行っていたマキノ正博マキノ・トーキー製作所自主配給開始するとともに甲陽映画作品あわせて配給請け負った下村監督した『どくろ大明 第一篇』がマキノトーキー配給による第1回作品で、同年10月1日公開された。1937年昭和12年4月にはマキノ・トーキー製作所解散甲陽映画マキノ一家今井理輔を擁立して今井映画製作所へと転身、製作拠点甲陽撮影所から太秦帷子ヶ辻のマキノトーキー跡地現在の松竹京都撮影所)に移転同社機材活用してトーキー製作を開始配給東宝映画請け負った岸松雄1906年 - 1985年によれば同社では総務担当兼務していたという。今井映画製作所1938年昭和13年春に解散下村東宝映画京都撮影所移籍森野鍛冶哉高勢実乗主演迎えた喜劇映画絵本五十三次』(脚本小林正)を監督同作同年9月7日公開されたが、同作最後に下村劇映画現場離れた

※この「撮影技師から監督への転身」の解説は、「下村健二」の解説の一部です。
「撮影技師から監督への転身」を含む「下村健二」の記事については、「下村健二」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「撮影技師から監督への転身」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「撮影技師から監督への転身」の関連用語

撮影技師から監督への転身のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



撮影技師から監督への転身のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの下村健二 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS