撮影技師としてとは? わかりやすく解説

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撮影技師として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:00 UTC 版)

木村大作」の記事における「撮影技師として」の解説

自分の師匠は撮影助手として付いていた宮川一夫斉藤孝ではなく黒澤明だとしており、その影響強く受けたことを自認している。黒澤からも、そのピント合わせのうまさから一目置かれており、本人から「撮影助手で名前を憶えているのは大ちゃんくらいだ」と言われた事もあるという。黒澤は『用心棒』でが人の手首をくわえて歩いて来るカットビデオで見るたびに、周り人間に必ず「これ、ピント合わせてるの、大ちゃんだよ。うまいね」と言っていたというエピソードもある(特になんでもない場面のように見えるが、ピントの合う範囲が狭い望遠レンズ使用しているにも拘らずカメラ方に向かって歩いて来るをぼけることなく完璧に撮影している)。 また黒澤は、木村一本立ちし東宝離れてからも、自分現場でピント合わせ手こずるような事があると「木村大作呼んで来い。こんなのあいつなら、一発だよ」と冗談交じり言ったとも言う。『用心棒』で助手として付いていた宮川一夫からも「日本一のフォーカスマン(撮影助手)」と激賞されていることからもわかるように、ピント合わせにおいては木村超一流である。 特に東宝は、口径大きなアナモフィクレンズ(シネマスコープ変換するレンズ)とスタンダードな(写真35mmレンズ同等口径レンズ両手自分の目でピン送りしていたので、熟達した技能者を必要としていた。特に対象が、キャメラ向かい騎馬など)、キャメラトロッコ等で対象向かっている場合のそれをドンピシャ合わせられたのが木村だった。ただし当然ジャジャボケの時もあり、「泣き大作」の所以でもあった。なお、黒澤作品にはすべて撮影助手としての参加である。 1973年須川栄三監督の『野獣狩り』でカメラマンとして一本立ちするが、この作品では木村発案でオールシーンを手持ちカメラ撮影している。また、撮影用の照明使わず全て自然照明撮影することを監督提案し撮影中、仕事奪われた形になった照明技師黒澤作品などにも携わったベテラン森弘充)がこっそりライト当てた時は、木村よりもかなりの年長である怒鳴りつけたとも語っている。この作品撮影中に片腕骨折するが、もう片方の腕だけでカメラ担いで撮影続行したり、藤岡弘ビル屋上から隣のビルジャンプして飛び移る非常に危険なシーンでは、戸惑う藤岡前に木村実際にやって見せて、「俺ができるんだからお前もできるだろう」と発破をかけたエピソードもある。 その後は、主に森谷司郎監督岡本喜八監督とのコンビで名を高めていった。しかし森谷若くして世を去り岡本に対して人柄才能最大限敬意払いながらも、そのコンテ主義のためにカメラマン裁量少なすぎるとして仕事を断るようになる折しも東宝実質的に製作撤退しつつあった時期でもあり、同社専属離れて深作欣二降旗康男他社出身監督仕事もふくめ、幅広い活動を行うようになっていく。2009年、初監督作品劒岳 点の記』が公開された。 木村侮蔑に近い表現批判した蓮實重彦のように、評価しない人もいる。

※この「撮影技師として」の解説は、「木村大作」の解説の一部です。
「撮影技師として」を含む「木村大作」の記事については、「木村大作」の概要を参照ください。

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