愛知電気鉄道初の半鋼製車
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「愛知電気鉄道電7形電車」の記事における「愛知電気鉄道初の半鋼製車」の解説
1913年8月31日に現在の常滑線 神宮前 - 常滑間29.5 kmを全線開業した愛知電気鉄道は、1917年に神宮前 - 有松裏(現・有松)間9.7 kmを結ぶ有松線を開業する。 同社はこの有松線を橋頭堡とし、計画が頓挫した東海道電気鉄道から譲受した地方鉄道法に基づく路線免許を利用して、1920年代中盤に神宮前 - 吉田(現、豊橋)間62.4 kmを結ぶ高規格都市間電気鉄道線である豊橋線の建設に着手した。 愛知県の県都名古屋市と同県東部の主要都市である豊橋市とを直線主体の線形で結び、全体として鉄道省東海道本線と完全に競合する豊橋線は、本格的な都市間高速電気鉄道を目指した東海道電気鉄道の強い影響下で計画・建設された路線である。 豊橋線は東海道本線と競合することから計画当初より速達性を最重視し、100馬力級電動機を1両に4基搭載する400馬力級電動車により表定速度60 km/hでの運転を可能とすべく愛電赤坂 - 平井信号所間約8 kmを一直線とするなど全体的に直線的な線形とし、勾配は知立以東では最大16.7パーミルに設定した。使用するレールはドイツのアウグスト・ティッセン製鉄所で1924年11月に製造された75ポンドレール(現在の37 kgレール相当)を輸入・敷設、矢作橋 - 東岡崎間については軌道中心間隔を3.9 mと大きく取り、信号機として三位色灯式自動信号機を導入するなど当時としては思い切った高規格の施設を備えた、高速運転に対応する路線として建設された。 同時に愛知電気鉄道は豊橋線の輸送量増加を目的として既開業の各路線についても軌道強化による軸重上限の引き上げや複線化、そして路面電車並の直流600 Vであった架線電圧の直流1,500 Vへの昇圧を段階的かつ積極的に実施した。軌道強化や複線化は高速運転・輸送能力増強の双方に資する設備投資であり、また架線電圧の昇圧には、同じ電力消費量でも電流量を低く抑えられるためジュール熱による損失を低減できて効率が良く、さらに大出力化や将来の長大編成化に好適という都市間高速電気鉄道では無視できないメリットがあった。 この架線電圧の昇圧にあたっては変電所などの地上施設の機器交換・改修に加え、車両の電装品も直流1,500 V対応とする必要があった。そのため愛知電気鉄道は直流600 Vと直流1,500 Vの2電圧に対応し、高回転仕様の電動機を主電動機として搭載した木造16 m級新型電車の電6形を設計、既設各線の昇圧に先立ち1924年より投入開始していた。 この電6形は全通後の豊橋線での運用に十分な走行性能を備えていたが、小刻みに部分開業を繰り返して段階的に東上してきた豊橋線が小坂井に到達する1926年頃には、日本の鉄道車両において重大な転機の一つとなった車体構造の木製から鋼製への移行が始まっていた。 電6形の車体はシングルルーフ構造の採用など木造車としては設計時点での最新流行を取り入れた設計であったが、木造車体は鋼製車体と比較すると高速運転時における車体への負担が大きくまた車体の腐朽が速いこと、そして事故発生時の車体強度が不足することが問題となっていた。 そのため1926年4月1日に豊橋線全体の半分近くにあたる東岡崎 - 小坂井間26.1 kmの一挙開業に備えて準備された新造車については、車体を半鋼製または全鋼製とすることになった。そこでこれらの新造車は、機器面では良好な成績を残していた電6形の仕様を踏襲しつつ新機軸である半鋼製車体を愛知電気鉄道の車両としては最初に取り入れ、さらに接客設備面でも座席を長時間の乗車に適したセミクロスシート配置とした画期的な新型車として設計された。こうして豊橋線小坂井延長開業に備えて愛知電気鉄道により新造されたのが電7形9両と附3形1両よりなる、合計10両の半鋼製16 m級車体を備える車両群である。
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