愛知電気鉄道の乗り入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:49 UTC 版)
名鉄の前身にあたる愛知電気鉄道(以下愛電)は、1927年6月1日より吉田駅に乗り入れたが、以下のような経緯による。 1912年(明治45年)、愛電は知多半島西部で路線(現・常滑線)を開通させた。1917年(大正6年)、起点の神宮前駅(名古屋市)より東へ路線を延ばし始めた。1923年(大正12年)、東岡崎駅(岡崎市)へ到達。1926年(大正15年)、豊川鉄道小坂井駅(豊川鉄道吉田駅から当時2つ目の駅)に乗り入れた。 豊橋方面へは、愛電が小坂井駅南方に伊奈駅 - 吉田駅までの単線を新設の上で既存の豊川鉄道線の単線と合わせて複線として両社共用する方式をとり、新線が1927年6月1日に開通し吉田駅乗り入れを果たして、愛電豊橋線・神宮前-吉田間の全通となった。 全通した豊橋線には高速運転をする特急列車や急行列車が新設され、その所要時間は特急63分・急行72分と同区間の鉄道省東海道線に比して40-50分早い高速運転を実施した。さらに1930年(昭和5年)からは「超特急あさひ」が1往復新設され、神宮前-吉田間を57分で結んだ。このような愛電の優位により、短期間で乗客が東海道線から愛電に流れた。 1935年(昭和10年)、愛電は名岐鉄道と合併、名古屋鉄道になった。 太平洋戦争中の1943年(昭和18年)、豊川鉄道の路線は国有化され、国鉄飯田線の一部となった。これに伴い吉田駅は豊橋駅に併合され、吉田駅を共同使用していた名鉄も豊橋駅への乗り入れ・国鉄との共同使用へと変更された。同様に線路の共用複線は、買収を経た国鉄と直接的なライバル関係になったものの解消はされず、JRになった現在でも継続して行われている。
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