愛知電力の解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:04 UTC 版)
逓信省の統計によると、愛知電力の発足半年後の1930年9月末時点では電灯数8万2335灯(うち休灯8430灯)・電力供給5349馬力(3990キロワット)を数えたが、翌1931年(昭和6年)9月末時点では電灯数8万1188灯(うち休灯7550灯)・電力供給5262.6馬力(3926キロワット)へとともに減少した。業績低迷は不況による織布業・製陶業などの不振の影響を受けたもので、配当率も年率2.5パーセントと低迷した。なお電源は東邦電力からの受電のみであり、名和・有松両変電所にて計5200キロワットを受電するが、そのうち計700キロワットを名和・日長両変電所にて愛知電気鉄道へと送電している(1930年末時点)。 愛知電力が発足した1930年前後は、東邦電力が電気事業の自主統制(電力統制)に乗り出した時期であり、1930年5月自社の四日市・奈良区域を合同電気(旧・三重合同電気)に吸収させて同社を傘下に収めたほか、8月には自社の豊橋区域と岡崎電灯を統合し傍系会社中部電力を新設、さらに12月には競合する東京電灯名古屋区域の事業も買収していた。愛知電力についても統合対象とされ、愛知電力発足から1年余りしか経っていない1931年5月12日付で事業譲渡契約が成立。29日に東邦電力は株主総会にて愛知電力から電気供給事業その他一切の資産・負債を譲り受ける旨を決議し、愛知電力でも臨時株主総会を開き東邦電力へと事業一切を譲渡した上で会社を解散すると決議した。譲渡価格は351万5684円90銭である。 愛知電力から東邦電力への事業譲渡は1931年10月30日付で逓信省より認可があり、3日後の11月2日付で事業引継ぎが行われた。登記によると愛知電力の解散は1年半後の1933年(昭和8年)4月25日付であり、同年11月15日付で清算業務を結了した。 愛知電力解散から2年後の1935年(昭和10年)、愛知電気鉄道と名岐鉄道(名古屋電気鉄道の後身)が合併し名古屋鉄道(名鉄)が発足する。同社では名岐鉄道に合流した旧美濃電気軌道に由来する岐阜県各務原地区の電気供給事業を兼営したが、1937年(昭和12年)4月、これも東邦電力へと統合された。
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