愛知電力設立の経緯
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1920年代初頭に発足した東邦電力では発足後まず東京進出を積極化し、傘下に収めた2つの電力会社を統合して1925年(大正14年)に東京電力を設立、東京を地盤とする既存事業者東京電灯との競争を試みた。東京電力との「電力戦」を戦う東京電灯では、報復として東邦電力の地盤である名古屋への侵入を試み、1926年(大正15年)5月、名古屋市を含む愛知県西部を電力供給区域とする事業許可を逓信省へ出願した。この出願は1927年(昭和2年)4月に却下されるも、政権交代後に再出願した結果同年12月に許可を得た。 東京電灯が名古屋地区で得た供給区域は1構内25馬力以上という供給制限がつく電力供給区域(電灯供給は不可能)であり、愛知県西部と三重県北部にまたがる。この区域には愛知郡全域と知多郡のうち西浦町・武豊町以北の19町村も含まれており、東邦電力区域のみならず愛知電気鉄道の電灯電力供給区域と一部重複するものである。東京電灯の名古屋進出許可が下りた直後、東京電力と東京電灯の間で合併契約が締結され、翌1928年(昭和3年)4月東京電力は東京電灯へ合併され消滅する。こうして東京での「電力戦」は終結したものの、東京電灯は社長若尾璋八の主導で名古屋方面での供給開始に乗り出し、熱田・鳴海・岡田(知多)の3か所に変電所を整備して1929年(昭和4年)12月より3変電所に対する送電を開始した。 東京電灯の名古屋方面供給に際し、主たる目標は愛知電気鉄道区域のうち織布工業の盛んな知多郡岡田町とされた。しかしながら愛知電気鉄道ではこの東京電灯侵入に抵抗する武器を持たなかった。東京電灯が余剰電力処分の目的で低料金での供給を掲げており、自社電源を持たない愛知電気鉄道が料金競争に不利なことは供給開始前の段階から明白であったのである。そこで同社では、1928年末の段階ですでに東邦電力か東京電灯のどちらかに供給事業を売却する動きを始めていたという。東京電灯が事業を引き継いだ場合は名古屋方面に十分な供給区域を確保できる、東邦電力が事業を引き継いだ場合は隣接区域での料金低下に伴って生じるであろう自社管内の値下げ圧力を未然に回避できる、という利点があるとみられた。 1929年6月25日、愛知電気鉄道は株主総会にて電灯電力供給事業を分離し新会社を設立すると決議した。供給事業評価額と同額の資本金350万円(全額払込済み)で新会社を立ち上げ、これに供給事業を買収させるという形式である。最終的に供給事業を東邦電力へと譲渡するという内約があり、新会社株式の一部を東邦電力に持たせることも取り決められた。東邦電力が引き受けた当初の狙いは、事業が東京電灯に買収されるのを防ぐためであった。事業譲渡契約は新会社発起人との間に同年7月5日付で締結。直前で評価額を約70万円増加したことが監督官庁から疑問視され事業譲渡認可が遅れたが、愛知電気鉄道社長藍川清成の説明により了解を得て翌1930年(昭和5年)4月4日付で逓信省より認可を得た。 新会社「愛知電力株式会社」は1930年4月22日、愛知電気鉄道本社内にて創立総会が開かれて発足をみた。愛知電力の代表取締役社長は愛知電気鉄道社長藍川清成が兼任。取締役には神野金之助・鈴木摠兵衛・田中新七(愛知電気鉄道取締役)・高橋正彦・進藤甲兵(東邦電力常務)の5名、監査役には岡谷惣助・瀧定助・松永安左エ門(東邦電力社長)の3名がそれぞれ名を連ねる。発足8日後の4月30日、愛知電力への電灯電力供給事業の譲渡が実行に移された。
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