東京電灯の名古屋進出とは? わかりやすく解説

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東京電灯の名古屋進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)

東邦電力」の記事における「東京電灯の名古屋進出」の解説

東邦電力東京電力設立して東京進出を図るころ、それを迎え撃つ東京電灯では報復手段として東邦電力地盤への進出計画し1926年大正15年5月名古屋方面での電力供給出願する挙に出た奈川発電所長野県)から愛知県小牧まで154kV送電線建設して供給するという計画で、6月には名古屋出張所設置済ませたが、翌1927年4月6日、この申請逓信省却下された。当時逓信大臣憲政会第1次若槻内閣安達謙蔵であったが、直後若槻内閣倒れて立憲政友会田中義一内閣成立して逓信大臣望月圭介が就くと、東京電灯同年12月5日名古屋方面における電力供給再度申請した。そしてこの申請は3週間後の12月28日付で許可された。一度却下され申請年内一転許可となったのは、社長若尾璋八政友会密接な関係によるものといわれる東京電灯許可得た電力供給区域名古屋市を含む愛知県尾張地方三重県北部四日市市三重郡桑名郡であった東京電灯がこの供給行使して実際に供給始めるのは1929年昭和4年)のことで、東京電力との「電力戦」が終わった後になって東邦電力地盤への侵入試みた理由明らかでないが、社長の若尾が強硬にこれを推し進めたとされる1929年10月東京電灯名古屋営業所開設矢作川白瀬発電所(元は東京電力発電所である)から名古屋方面送電線架設し12月より送電開始した。また送電開始と同じ同年12月東京電灯愛知・三重県境地域小事業者海部電気(あまざきでんき)から事業買収した同社海部郡飛島村配電事業者で、資本金11万円であった。 こうして名古屋方面への進出果たした東京電灯であったが、実際に供給電力は800kW程度ごくわずかであり、翌1930年昭和5年6月に若尾が社長解任されると名古屋進出中断東邦電力名古屋営業所事業売却することとなった。この結果1930年12月26日付で東京電灯発電所以外の設備351万円東邦電力へと売却した。その対象設備は、白瀬発電所起点鳴海熱田経て三重県北部富田へ至る33kV送電線と、鳴海分岐して知多半島岡田伸びる分岐線、それに各変電所で、発電所自体対象外であった白瀬巴川発電所発生電力2,619kWを東邦電力受電することとなった買収設備その後四日市方面への送電容量増加などに活用されている。

※この「東京電灯の名古屋進出」の解説は、「東邦電力」の解説の一部です。
「東京電灯の名古屋進出」を含む「東邦電力」の記事については、「東邦電力」の概要を参照ください。

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