東京電灯の名古屋進出
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東邦電力が東京電力を設立して東京進出を図るころ、それを迎え撃つ東京電灯では報復手段として東邦電力の地盤への進出を計画し、1926年(大正15年)5月に名古屋方面での電力供給を出願する挙に出た。奈川渡発電所(長野県)から愛知県の小牧まで154kV送電線を建設して供給するという計画で、6月には名古屋出張所の設置も済ませたが、翌1927年4月6日、この申請は逓信省に却下された。当時逓信大臣は憲政会・第1次若槻内閣の安達謙蔵であったが、直後に若槻内閣が倒れて立憲政友会の田中義一内閣が成立して逓信大臣に望月圭介が就くと、東京電灯は同年12月5日に名古屋方面における電力供給を再度申請した。そしてこの申請は3週間後の12月28日付で許可された。一度却下された申請が年内に一転許可となったのは、社長の若尾璋八と政友会の密接な関係によるものといわれる。 東京電灯が許可を得た電力供給区域は名古屋市を含む愛知県尾張地方と三重県北部の四日市市・三重郡・桑名郡であった。東京電灯がこの供給権を行使して実際に供給を始めるのは1929年(昭和4年)のことで、東京電力との「電力戦」が終わった後になって東邦電力の地盤への侵入を試みた理由は明らかでないが、社長の若尾が強硬にこれを推し進めたとされる。1929年10月、東京電灯は名古屋営業所を開設。矢作川の白瀬発電所(元は東京電力の発電所である)から名古屋方面へ送電線を架設し、12月より送電を開始した。また送電開始と同じ同年12月、東京電灯は愛知・三重県境地域の小事業者海部岬電気(あまざきでんき)から事業を買収した。同社は海部郡飛島村の配電事業者で、資本金は11万円であった。 こうして名古屋方面への進出を果たした東京電灯であったが、実際には供給電力は800kW程度とごくわずかであり、翌1930年(昭和5年)6月に若尾が社長を解任されると名古屋進出を中断、東邦電力へ名古屋営業所の事業を売却することとなった。この結果、1930年12月26日付で東京電灯は発電所以外の設備を351万円で東邦電力へと売却した。その対象設備は、白瀬発電所を起点に鳴海・熱田を経て三重県北部の富田へ至る33kV送電線と、鳴海で分岐して知多半島の岡田へ伸びる分岐線、それに各変電所で、発電所自体は対象外であったが白瀬・巴川両発電所の発生電力2,619kWを東邦電力で受電することとなった。買収設備はその後、四日市方面への送電容量増加などに活用されている。
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