東京電灯から九州へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 東京電灯から九州への意味・解説 

東京電灯から九州へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 05:33 UTC 版)

進藤甲兵」の記事における「東京電灯から九州へ」の解説

進藤甲兵1884年明治17年10月2日山梨県北巨摩郡小淵沢村(現・北杜市)にて進藤利貞次男として生まれた。はじめ「広平」と名乗っていたが、1913年大正2年分家とともに甲兵」に改めている。生家進藤家土地名家で、甲兵生まれた当時アメリカ商社特約店として肥料商を営んでおり、裕福なであった。兄の長重陸軍士官学校卒業して陸軍軍人となったが、日露戦争中の1904年明治37年)に南山の戦い戦死した。また姉のしは分家筋の進藤東一郎嫁いでおり、その長男甲兵から見ると甥)に後年水資源開発公団総裁などを歴任する進藤武左ヱ門(1896 - 1981年)がいる。 はじめ政治家志し1906年明治39年)に中央大学法律科を卒業したものの、政界入り果たせ同年10月東京電力会社東京電灯入社した。まず電気課次いで倉庫課に配属され、その働きぶりから上司名取和作信任得たというが、同僚との軋轢から1909年明治42年11月退職した退職後は一時両国橋駅(現・両国駅)で駅夫として勤めるが、翌1910年明治43年4月名取取り成しによって福澤桃介関係する愛知県電力会社名古屋電灯入社社業改善拡大目的新設され調査課課長納まった1910年12月名古屋から九州赴任し同じく福澤関連する佐賀県電力会社九州電気転属同社調査課長に就任する帳簿整理職制制定携わった後、翌1911年明治44年4月営業部長転じ1912年明治45年6月九州電気福岡県電力会社博多電灯軌道合併して九州電灯鉄道発足する同社佐賀支社営業課長兼倉庫課長となった1913年大正2年11月には本社監理課長就任同年行われた群小事業者合併に伴う社務改革従事した1917年大正6年九州電灯鉄道長崎支店長となり、1919年大正8年4月本社戻って営業課長に進んだ当時九州電灯鉄道幹部は、社長伊丹弥太郎常務取締役松永安左エ門田中徳次郎支配人桜木亮三副支配人竹岡陽一といった顔ぶれであった

※この「東京電灯から九州へ」の解説は、「進藤甲兵」の解説の一部です。
「東京電灯から九州へ」を含む「進藤甲兵」の記事については、「進藤甲兵」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東京電灯から九州へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東京電灯から九州へ」の関連用語

東京電灯から九州へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東京電灯から九州へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの進藤甲兵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS