東京電機大学 - 富山県立大学 - 死去
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「藤井澄二」の記事における「東京電機大学 - 富山県立大学 - 死去」の解説
1981年に東京電機大学教授に就任、同大学大学院理工学研究科委員長、理事、理工学部長を歴任した。研究では高速画像処理、多項目同時処理、高速動作を特徴とするキャッチングロボット、異構造マスターアームやリモートティーチングを特徴とするリモートマニピュレータなどの研究に取り組み、極限作業ロボットの分科会にも参加している。1983年には日本ロボット学会の初代会長にも就任し、1期2年務めている。 1987年より富山県立大学の創設準備委員会委員長として尽力し、1990年から1996年まで同大学の初代学長を務めた。同大学の短期大学部に専攻科が出来る際には、担当者に適切な指示を出している。2004年1月30日に神奈川県横浜市青葉区の福祉施設にて急性心不全のため逝去し、目黒区の大円寺で葬儀が執り行われた。享年83。なお、遺言による寄付金100万円によって、日本IFToMM会議に若手育成基金「Young Investigator fund」が設立された。これにより、年1回のシンポジウムでBest Paper Award(Finalist 3件)が出されるようになった(Finalist 3件)。
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